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降誕前第7主日礼拝 説教要約
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2024年11月10日
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聖書 ルカによる福音書 15章11~32節
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11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。
それで、父親は財産を二人に分けてやった。
13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、
財産を無駄使いしてしまった。
14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるの
に、わたしはここで飢え死にしそうだ。
18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪
を犯しました。
19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけ
て、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と
呼ばれる資格はありません。』
22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめて
やり、足に履物を履かせなさい。
23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
25 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
26 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
27 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られ
たのです。』
28 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたこ
とは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったでは
ありませんか。
30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛
を屠っておやりになる。』
31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。
32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて
楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
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説教 「神様のもとにいる幸せ」 要約
三原 信惠 牧師
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① お父さんと弟息子 |
二人の息子がいるお父さんがいました。お金持ちで大きな畑を持っていました。二人の息子も、毎日お父さんのもとで働きながら暮らしていました。何も困った事はありません。ある日、弟息子がお父さんのもとから離れて自分の好きなように暮らしてみたいと思いました。そして「お父さんが亡くなったら私がもらえるお金を、今ください」と頼みます。お父さんは弟息子の願いを聞いて、お金を渡しました。すると、すぐに弟息子は遠くの町に出かけて行ったのです。弟息子は沢山のお金で毎日好きなものを食べて、楽しく遊んでいました。しかし、あっという間にお金は無くなってしまいました。何とか豚の世話をする仕事をしましたが、おなかはペコペコ。でも食べ物をくれる親切な人はいませんでした。そしてようやく気が付きました。「お父さんの所が良かったのに、何てバカなことをしたのだろう。お父さんの所に帰ろう。そして謝ろう」。弟は立ち上がって家に向かいます。自分で勝手に家を出たのに…。恥ずかしい気持ちです。「何て言って謝ったら良いのだろう」。
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② 二人の息子のお父さん
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「今日こそ帰って来るかも…」。お父さんは弟息子を心配して家の前の道を毎日眺めていました。するとある日、その道をよたよたと帰って来る弟息子の姿が遠くに見えました。お父さんは走っていき抱きしめました。「おかえり」。お父さんは、喜んで弟息子を迎えました。「お父さん、ごめんなさい」と謝る弟息子のためにお祝いのパーティーをしました。そのパーティーをしている時、兄息子が畑から帰ってきました。家の中から楽しそうな様子が聞こえてくると怒って家に入ろうとしません。お父さんが家から出てきて兄息子をなだめます。兄息子は怒って言います。「ボクはずっとお父さんの傍で働いていたのに、ボクのために子牛をくれたことない。なのに、お父さんのお金を無駄使いして帰ってきた弟のために、お祝いをするなんてひどい」。お父さんは優しく言いました。「私はいつもお前と一緒だ。家もお金も全部お前のものだよ。私がお前を大切にしているように、弟の方も私には大切なのだ。弟はいなくなっていたのに帰ってきた。だからお祝いしているのだよ」と。
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③ 神様のもとにいる幸せ
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たとえ話に出てくる弟息子はまさに所有に関心の高い人で、父親に自分の分け前を要求します。驚くべきことに父は彼の要求に応じます。分け前をもらった弟息子は父親のもとを離れます。自由になったと思ったでしょうが、その時から、彼の思いは虚しいものになっていきます。彼は父親が知らないであろう国へ行き、自分勝手な生活をし、結局は財産を使い果たすことになります。豚のエサも得ることができない程、貧しさを経験し、全てを失ったと思った時、気づきます。「お金もモノもある程度の安心を約束してくれますが、どれほど所有しても何とも言えない虚しさが残る」と。弟息子は幸いにも過ちを悟り、方向転換することができました。彼が戻ってくることを父親は外で立って待っているのです。私たちも神様のもとに立ち返るなら、神様は走り寄って来て私たちを抱きしめ、関係を回復させて下さいます。一方、兄の方は父親のもとにずっといて、何の不自由もなかったにも拘らずその幸いがわからないのです。御子イエス・キリストをも私たちに与えて下さる神様です。弟も、弟に嫉妬する兄も、父なる神様に愛されています。弟も、兄も等しく、御子イエス・キリストが命を投げ打って愛して下さった存在です。そしてあなたも、この喜びに入れられているのです。神様との関係によって真の幸いが得られます。神様のもとに立ち返り留まり続けましょう。
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