2024年度 主日礼拝 説教抄録  
    
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            聖霊降臨節第21主日礼拝  説教要約

                    日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
                    
2024年10月6日


          聖書  ルカによる福音書 2章41~52節
  

41 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。

42 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。

43 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに
  気づかなかった。

44 イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を
  捜し回ったが、

45 見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。

46 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを
  見つけた。

47 聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。

48 両親はイエスを見て驚き、母が言った。
  「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」

49 すると、イエスは言われた。
  「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、
  知らなかったのですか。」

50 しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。

51 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。
  母はこれらのことをすべて心に納めていた。

52 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。







           説教「12歳のイエス様」 要約      

                          三原 信惠 牧師

① イエス様が迷子になった?
 10月から待降節に入るまで、ルカによる福音書を読み進めます。ルカによる福音書ならではのユニークな視点や切り口があります。それらのかけがえのなさを大切に致しましょう。ところで、みなさんは、迷子になって寂しくなったことはありませんか?今朝のお話しのイエス様と同じ12歳の時、わたしは一人で、父が牧する教会の信者さんのおばあちゃんのところへ行きました。ちょっとの間、一人になっただけなのに、とても不安な気持ちになったことを覚えています。でも、イエス様は少し違ったようです。みんなと三日間も離れ離れになっていたのに、久しぶりに会ったお母さんのマリアさんに「どうしてわたしをさがしたのですか」と聞いています。凄いですね!イエス様は、どうして寂しくなかったのでしょうか?それは、きっとイエス様が神様のお家である神殿にいたからだと思います。大好きな神様の近くにいたから、イエス様は不安にならずにすんだのです。もし皆さんが一人ぼっちになったとしても、必ず、神様が一緒にいてくださるから 大丈夫ですよ。
② 七日間の過越祭
 年に一度の過越祭の日、国中から集まった人々や荷物を積んだロバ等でごった返し、エルサレムの町は賑やかでした。過越祭では、神様が自分たちの先祖をエジプトの奴隷の生活から自由にしてくれた救いを思い出して感謝します。エルサレム神殿には、人々が捧げ物を持って集まって来ます。羊を肩に担いでいる人もいます。捧げもののための動物も売られています。動物たちの鳴き声で騒々しかったでしょうね。七日間の過越祭が終わると、人々は自分たちの町へ戻っていきます。エルサレムの城門から出て行く人々は「今年も祭りに来られて良かった」と幸せな気持ちで帰るのでした。 ところが、自分たちの町に戻っていく人々の波に逆らってエルサレムに引き返そうとしている女の人と男の人がいました。「うちの子を見ませんでしたか。12歳になる男の子です。エルサレムから帰る途中でいなくなっていたことに気がついたんです!うちの子を知りませんか」。二人はエルサレムから帰る人に声をかけ訪ね回りました。エルサレムへ戻り乍ら、必死になって息子を捜しました。
③ 12歳のイエス様
 イエスの両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をする程に、信仰深い人でした。母マリアはイエスの誕生における神の出来事をよく心に留めていました。しかし、その二人でも「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だと言うことを、知らなかったのですか」(49節)というイエスの言葉の意味は分かりませんでした。少年イエスは律法に従い、一人前になって、神の前に一人で立たれました。イエス様にとってまことの父は天の父なる神でした。神の子として、イエス様は神の家にいないわけにはいかなかったのです。祭りが終わり、帰路の途中で、両親はイエスを見失ってしまいます。二人はイエス様の姿だけでなく、真実のイエス様も見失っていたのでした。 ひるがえって、私たちも「礼拝は休まないし、信仰熱心だ」と思い、いつの間にかイエス様のことは分かっていると思い込んでいないでしょうか。イエス様の言葉を理解できなかった両親にとってイエス様の言葉は思いがけないものでした。私たちもこの両親の思いに共感し、イエスの言葉に戸惑い、立ち止まりたいと思います。イエスの存在が神の現実であり、イエスは神から来られた神の子であると悟る事ができますように。イエスが教えて下さった祈りを通して、私たちも神に「父よ」と呼びかけます。

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日本キリスト教団  茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠、伝道師 細井 宏一
 更新 : 2024. 10. 3  by mn

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