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聖霊降臨節第19主日礼拝 説教要約
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2024年9月22日
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聖書 マタイによる福音書 23章37~39節
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37 「エルサレム、エルサレム、
預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、
めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようと
したことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
38 見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。
39 言っておくが、お前たちは、
『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、
今から後、決してわたしを見ることがない。」
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説教「嘆くイエス様」 要約
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① 律法学者とファリサイ派の人々を非難する |
当時の律法学者やファリサイ派の人たちの欠点は、自分を正しい座において、色々なことを人々に教えますが、自分ではそれらを実行しなかったことです。普通、言うだけでそれを実行しない人の話などは聞くなと言いますが、イエス様は「彼らの言うことは真理を言っているのだから聞きなさい。しかし、彼らはそれを行っていないのだから、そのまねはするな」と言われました。かつてエルサレムの指導者たちは、神様から送られた預言者たちから何度も悔い改めを迫られましたが、その預言者たちを排除し殺害してきました。そして今、神様はイエス様やイエス様に従う人たちを送られましたが、預言者と同じような目にあわそうとしています。神様はかつてめん鳥が雛を羽の下に集めるように何度も集めようとしたが、指導者たちは悔い改めず応じなかった。今も応じようとしない。だから、エルサレム神殿も町も神様から見捨てられ、滅ぼされる。弟子たちや群衆たちの前で、エルサレムの指導者たち、律法学者やファリサイ派の人たちを偽善者だと厳しく非難しました。
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② エルサレムの現状
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イエス様と弟子たちがエルサレムに行かれた時、エルサレムは大勢の人たちで賑わっていました。エルサレム神殿は大きくて豪華でした。他の人たちはそんなエルサレムに来るのが楽しみでしたので嬉しそうにしていましたが、イエス様はエルサレムで、神殿の人たちが人々の罪を赦す代わりに、貧しい人たちからもお金を取っているのを見ました。体が不自由で苦しんでいる人がいるのに誰も知らん顔して通り過ぎているのを見ました。人々から先生と言われて尊敬されている人たちや神様のご用をしている人たちまでも苦しんでいる人たちを助けようとしないだけでなく、もっと苦しめているのを見ました。イエス様はそんなエルサレムを見て悲しくなり皆の前でこう嘆かれました。神様はエルサレムを心配して何度も預言者たちを送って悔い改めを望んだのに悔い改めない。今に神様から見捨てられ滅ぼされる。(マタイ福音書が書かれた当時、既にエルサレム神殿は破壊されていました。しかし、イエス様がここで嘆かれた時は、まだ悔い改めるチャンスが残っていました)。
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③ 嘆くイエス様
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イエス様は、エルサレムに神の裁きを求めたのでも、のろいの言葉を投げかけたのでもありません。イエス様はエルサレムの現状を知り、このままでは崩壊を招くと嘆かれたのです。残念なことにイエス様の嘆きはエルサレムの指導者たちには届かず、70年にエルサレム神殿は破壊されてしまいました。マタイはその悲劇を知っていてこの記事を記したのでしょう。もしかすると、その悲劇を直接目撃したかもしれません。どうしてこんなことになってしまったのか。マタイの深い悲しみを想像します。イエス様の嘆きの言葉は、マタイ自身の嘆きでもあると思います。神様は、旧約聖書の預言者たちを何度も何度もエルサレムに送られては御心に敵った姿になるよう王たちに伝え続けました。しかしイエス様が見たエルサレムの姿は、神様の御心からほど遠い姿でした。当時のエルサレムで起こり、イエス様が嘆いた問題は、形は違えども今の世界や日本でも起こっています。イエス様はこの世界をご覧になられた時、きっと嘆かれることでしょう。でも、神様は忍耐強くこの世界を導いて下さるはずです。イエス様は、今も私たちの世界のことを心配しておられます。私たちは、イエス様がもう嘆かなくてもいいような世界に、イエス様が喜んで下さる世界になりますようにと心から願っています。神様がこの世界を導いて下さいますようにお祈り致しましょう!!
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