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聖霊降臨節第18主日礼拝 説教要約
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2024年9月15日
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聖書 マタイによる福音書 7章13~14節
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13 「狭い門から入りなさい。
滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
14 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。
それを見いだす者は少ない。」
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説教「狭い門から入りなさい」 要約
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① 「狭い門」「広い門」って何?
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受験の際、競争率が高く、選ばれた人しか入れない学校のことをよく「狭き門」と言いますが、この言葉のもととなったイエス様の言葉です(文語訳聖書では「狭い門」を「狭き門」と翻訳しています)。イエス様は、狭い門から入りなさい、広い門からは入るなと教えました。狭い門から入ると道は細いし、そもそもこの門を見つける人は少ないが、広い門は道も広々しているし、多くの人たちがそこから入ると続けました。ならば、みんなと一緒に広い門から入る方がいいと思った人もあったでしょう。ところがイエス様は、狭い門から入りなさいとすすめます。そして広い門は滅びに通じる、狭い門は命に通じると教えておられます。この狭い門、広い門とは一体何のことを指しているのでしょうか。それは、私たちの生き方のことを指しています。「狭い門」の教えは、5~7章まで続く山上の説教の中で語られています。イエス様は「狭い門から入りなさい」と教えることによって、たとえ困難でも選ぶ人が少数者であっても、ご自身が教える生き方を選ぶように迫っています。
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② 腹を立ててはならない
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ここでイエス様がたとえている門は、沢山の人たちがそこを通るとありますので、おそらく神殿の門のことでしょう。当時の人たちが守っている律法に対して、山上の説教は新しい律法と言ってもいいでしょう。イエス様はこの山上の説教に、一つひとつの律法をただ忠実に守るだけでなく、なぜこう戒められているのかを深く考えるよう私たちに迫ってきます。「狭い門から入れ」とは、「イエス様が教える生き方を実践しなさい」という意味です。その実例として、山上の説教の中から「腹を立ててはならない」(5:21~26)を選びました。「殺すな」と命じる律法は誰でも守ることでしょう。しかしイエス様はそれだけでなく「腹を立ててはならない」「ばかと言ってはならない」「愚か者と言ってはならない」と命じています。相手に腹を立てたまま神殿に献げ物をするな、その前に仲直りしなさい。一緒に道を歩くなら途中で早く和解しなさいと教えます。相手を殺さなければ相手をののしる位ならいいだろう、心の中でなら相手を赦さなくてもいいだろうではダメだと教えます。
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③ 狭い門から入りなさい
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イエス様が教える生き方は厳しい生き方なので、選ぶ人は少ないかもしれません。しかし、それは、いのちに至る生き方です。イエス様は狭い門から入りなさいと招いておられます。実例を一つ。陽ちゃんは四歳の女の子ですが、病気で声が出ません。自分の思いが伝わらないとひっくり返って怒ります。怒っている陽ちゃんのそばに、大ちゃんが来ました。いつもしているパズルを渡しましたが、陽ちゃんはまったく見向きもしません。次に、大ちゃんがクレヨンと画用紙を渡すと、陽ちゃんはそれを受け取って絵を描き始めたのです。先生はびっくりして「すごい、大ちゃん!よく陽ちゃんの欲しいものがわかったわね!」と言いました。すると大ちゃんは、「あのね、陽ちゃんがクレヨンと画用紙を見てたからわかったんだよ」と言いました。何かを静にしっかり見ていると、言葉がなくてもわかることがあります。私たちも、イエス様のことをしっかり見ていると、イエス様がおっしゃろうとすることがわかりますよ。「狭い門から入りなさい」という教えを守るのは難しいですが、「いつか守ることができますように」とお祈りしましょう!そのお祈りを、イエス様は静かに聞いてくださいます。今、礼拝を献げておられる皆様は、正に「狭い門」をくぐってここにいます。
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