主日礼拝 説教抄録  2024年度
    
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       聖霊降臨節第13主日礼拝     説教要約

                日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
                   
2024年8月11日


 聖書   マタイによる福音書 18章19~20節
  


19  また、はっきり言っておくが、
   どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして
   求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。


20  二人または三人がわたしの名によって集まるところには、
   わたしもその中にいるのである。」







     説教「心を一つにして」 要約

① 教会(伝道所)
 教会(伝道所)が好きですか。私は大好きです。できることならこの教会(伝道所)が何年も、何十年も、何百年も続いてほしいと願っています。でも、教会の建物は時間が経つとあちこちに傷みが出てきます。壊れてしまうものもあるかもしれません。もしかすると大きな地震や火事などで教会(伝道所)の建物全部が使えなくなってしまうかもしれない。そうしたら、教会(伝道所)はなくなってしまうのでしょうか。決してそんなことはありません。イエス様はこうおっしゃっています。「二人または三人が私の名によって集まる所には、私もその中にいる」。イエス様のことを救い主だと信じている人が何人かいたら、それで大丈夫。イエス様のことを大事だと思っている人がいれば、場所がどこでも、どんな状況でも神様を、イエス様を礼拝することができます。たとえ目には見えなくてもイエス様はいつも私たちと一緒。だから、私たちは安心して教会(伝道所)の建物の中でも外でもずっと礼拝ができるのですよね。
② 目に見える教会(伝道所)と目に見えない教会(伝道所) 
 通常、教会の礼拝は礼拝堂の中で行われます。日曜日の決まった時間、私たちは共に神様の前に集い、賛美し、礼拝を捧げます。礼拝と礼拝堂とは分かちがたく結びついていると思っています。ところで、礼拝は礼拝堂の中だけでなく、時に、教会墓地の前や公園、キャンプ場などで献げられることもあります。どうしてこのような礼拝が成立しうるのでしょう。その答えの一つが今日の「二人または三人が私の名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(20節)にあります。「イエス様は私の救い主」と信じる人たちが、二人または三人、一緒に集まる時、イエス様もその中におられるとおっしゃっています。もし、礼拝堂が大きな地震や火災などで使えなくなったとしても、大丈夫。目に見える教会(伝道所)だけではなく、同じ神様の方を向いている人が集まっている所には目に見えない教会があるということです。だから、私たちはいつでもどこでも礼拝を献げられるわけです。目に見える教会と目に見えない教会。そのどちらも大切な教会であるのです。
③ 心を一つにして(19節)         
 「心を一つにして」というのは、元々、「共に声を出す」というギリシャ語から来ています。イエス様はこの言葉を話す直前、「兄弟があなたに対して罪を犯したなら」(15節)と言葉を紡ぎ、「すべての事が、二人または三人の証人の口によって確定される」(16節)と結んでいます。だから、二人が異口同音に願い事を神様に告白すれば、それは願い事として聞かれるという事を意味します。但しこの願いは、一人による勝手気ままなものや、強制されて一つになったものであってはなりません。少なくとも二人または三人が同じように願う事でなければならず、また、神様の思いに沿ったものでなければ実現される事はないでしょう。そのためには、その二人または三人が「わたしの名」(イエスの名)によって集められている事が重要です。なぜなら、その人たちを実際に集めているのはイエス自身だからです。この時、集められている一人一人はイエスこそ救い主である事、「インマヌエル」(=「神は我々と共におられる」)と呼ばれる方である事を思い起こすでしょう。イエス様はいつも私たちのお祈りや願いに耳を傾けて下さいます。そして、それを、叶えて下さいますよ。


〒253-0006 神奈川県茅ケ崎市堤19-6
TEL/FAX 0467-54-1300
日本キリスト教団  茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠、伝道師 細井 宏一
 更新 : 2024. 8. 10  by mn

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