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聖霊降臨節第11主日礼拝 説教要約
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2024年7月28日
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聖書 マタイによる福音書 21章28~32節
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28 「ところで、あなたたちはどう思うか。
ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、
『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
29 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
30 弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は
『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。
31 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」
彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。
「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に
神の国に入るだろう。
32 なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、
徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、
後で考え直して彼を信じようとしなかった。」
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説教「神様の愛にまっすぐに」 要約
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① 「二人の息子」のたとえ
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今日のたとえ話は、お父さんからお手伝いを頼まれた二人の兄弟のお話です。お父さんは先ず、お兄さんのところへ行って言いました。「今日は、ぶどう園の仕事を手伝って下さい」。お兄さんは、初めは「いやです。行きたくありません」と断りましたが、後から「やっぱり行こうかな」と思い直して、ぶどう園へ行きました。お父さんは、弟のところへも行ってお願いしました。弟は「分かりました」とよい返事をしたのですが、結局、出かけませんでした。イエス様は、このたとえ話をした後で、神様との関係についてお話をされました。今日の聖書に出てくる「徴税人」という人は、人々から税金を集める人たちで、嫌われ者でした。「娼婦」という人たちも、悪い仕事をしていると思われて、仲間外れにされていました。でも、この人たちは、洗礼者ヨハネやイエス様から神様のお話を聞いて、まっすぐに神様の愛を受け入れました。そして心を入れ替えたので、神様はとても喜んでくださったのです。なぜでしょうか。
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② 「徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう」(31節)
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当時の社会では、「徴税人」は、ローマ帝国の下で、人々から税金を集める役割をもっていました。自分たちを抑圧する側に加担している彼らのことを、ユダヤの人々は嫌っていました。「娼婦たち」も、律法の教えを守って生活していた人々から見れば、律法に背いている人々とみなされていました。しかし、洗礼者ヨハネが、神様の救いの道を教え「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」(マタイ3:3)と語った時、向きを変えて生きるようになったのは、「徴税人や娼婦たち」でした。ですから、このたとえにおいては、この人たちのほうが兄に重ねられています。一方、祭司長たちなど、律法を忠実に守り、神様に近いところにいると思われていた人々は、洗礼者ヨハネを神様から遣わされた人として受け入れませんでした。徴税人や娼婦たちが向きを変えて信じるようになったのを見ても、自分たちは正しいというところから変わろうとしませんでした。神様は、表面的な行いを見るのではなく、心から向きを変えて、神様の救いを受け入れる人を見て、喜ばれるのです。
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③ 神様の愛にまっすぐに |
イエス様の宣教活動のテーマは「神の国」です(神の名をみだりに唱えることを戒めるユダヤ教的背景を持つ人々に向けて書かれた『マタイによる福音書』は、「天の国」と言い換えています)。イエス様は、ご自身のみ業とみ言葉を通して、人々を「神の国」へと招かれました。「神の国」は原義に即せば「神の支配」と訳すべき言葉。しかしそれは「支配」との言葉が連想させるような抑圧的なものではありません。むしろ、生きる喜びを奪ってしまうような罪、偏見、差別から人々を解き放つ神の恵みの支配です。「神の国」へと招き入れられることはまた、神の愛の眼差しのもとで、自身のかけがえのない命に気づかされるとともに、同様にかけがえのない命をもった他者との「義と平和と喜び」の絆の中へと生かされてゆくこと、そしてその中に招き入れられて生きる喜びを聖書は、「高価な真珠」にたとえています(マタイ13:46)。この神様の愛をまっすぐに受け入れるように、私たちみんなが招かれています。神様の大きな愛の中をまっすぐに受け入れるように、私たちみんなが招かれています。神様の愛の中で、これからも自分らしく歩んで行きましょう!
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