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聖霊降臨節第8主日礼拝 説教要約
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2024年7月7日
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聖書 マタイによる福音書 13章44~46節
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44 「天の国は次のようにたとえられる。
畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、
喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
45 また、天の国は次のようにたとえられる。
商人が良い真珠を探している。
46 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、
それを買う。
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説教「神様の愛をみつけよう」 要約
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① 「天の国」の二つのたとえ
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「天の国」とは、私たちが生きているこの世界とはかけ離れた理想の世界のことではありません。今生きているこの世界の中で見つけ出されるものです。ではどのようなものなのでしょうか。天の国は二つのたとえで表現されています。一つは、畑に隠されている宝物です(44)。天の国は、誰の目からも見えるものではありません。隠されていて、発見されるのを待っています。そしてそれを見つけた人は「持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」(同)ほど価値があるのです。もう一つのたとえは、良い真珠(45)です。良い真珠は、沢山の真珠の中から眼を凝らして探さなければ見つけられません。真珠商人は、良い真珠がどんなものかを知っていて、沢山の真珠の中から良い真珠を見きわめます。探し求めるには忍耐が必要ですが、もし見つけたら持ち物をすべて売り払ってでも、それを買う価値があります。二つのたとえによって天の国がいかに価値あるものであるかが強調されています。「天の国」は神様の愛を示しています。私たちは神様に愛され、価値ある存在なのです。
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② 神様の大きな愛
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イエス様が来られたことによって表されたのは、神様の大きな愛です。十字架の上で命を献げるほどの大きな愛が私たちに与えられたのです。ここに、「天の国」の喜びがあり、計り知れない価値があります。神様の大きな愛を知ったなら、持ち物をすべて手放すべきだと強制しているわけではないでしょう。神様の大きな愛を知りつつも、私たち一人ひとりは他のものに価値を置いて生きているのではないでしょうか。神様はそれでも、独り子を手放してでも買い取ってくださるほどに、私たちを価値ある者と見なしてくださっています。神様の愛は隠されているけれど、現代社会にも確かにあるのだと、今朝のたとえ話は語ります。私たちが日常生活の中で自分の価値が見い出せなくなるとき、畑の中に隠されている宝を探し出すように、神様の愛が自分に与えられていることに自分の身をゆだねるよう、繰り返し私たちを招いてくださるのです。私たちは、神様の愛を探し求めながら聖書の言葉を聴き続けることによって、生きる上で大切な土台を築くことができるのです。
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③ 神様の愛をみつけよう |
私たちにも宝物が隠されていて、探すと見つけられます。さて、何でしょうか? それは、みんなのことが大好きな、神様がいつも一緒にいるということです。神様は目に見えないから気がつきません。でも、いろんな所に、神様の愛は隠されています。まわりの人が、みんなのことを大切にしてくれることも、安心して生活できる場所があることも、当たり前のことではなくて、目に見えない神様から与えられているのです。神様は、みんなのことを大切に思って、一番大切なものを手放しました。それが、イエス様です。だから、イエス様は、神様の愛のかたまりです。イエス様のことを思うと、心が温かくなります。目には見えなくても、私たちには、私たちを愛してくださる神様がいつも一緒にいてくれます。私たちは時々、自分が大切にされていないと思うことがあります。友達に嫌なことを言われた時や、悲しい出来事が起こった時、神様なんていないんじゃないかと思ってしまいます。これからもいろんな出来事にぶつかって、迷ったり悩んだりすることがあるかも知れません。でも、神様がどんなに愛してくださっているかを思い出して、道を求めて行けば、きっと道は見えてきます。だから、どんな時にも、前向き、肯定的に、喜んで、歩みましょう!
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