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聖霊降臨節第6主日礼拝 説教要約
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2024年6月23日
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聖書 マタイによる福音書 第7章24~29節
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24 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、
岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
25 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。
岩を土台としていたからである。
26 わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、
砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
27 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、
倒れて、その倒れ方がひどかった。」
28 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、
群衆はその教えに非常に驚いた。
29 彼らの律法学者のようにではなく、
権威ある者としてお教えになったからである。
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説教「揺るがない土台の上に」 要約
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① 「岩の上の家」と「砂の上の家」
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このたとえ話はよく「岩の上の家」と「砂の上の家」を比較して話されますが、イエス様が問題にしておられるのは「家を建てる人」(=建築家)です。そして私たち一人ひとりが「家を建てる人」だというのです。家なんて建てたことないよって思いますよね。でもイエス様が言っておられる家とは、私たち自身のことです。家を建てる人が少しずつ家を組み立てるように、私たちも少しずつ自分を組み立てていくのですよ、ということです。私たちの体は、生まれた時から今の大きさだったわけではありません。いろいろなものを食べて、だんだん大きくなりました。体だけではありません。いろいろな出来事に出会って、いろいろな人に支えられて、自分という一人の人間がだんだん出来上がってきました。そしてこれからも、私という人間を組み立て続けます。イエス様は私たちに、こう聞いています。自分を作ることは大切だけれど、ちゃんと岩の上に立っているかなって、聞いています。もし砂の上に立っていたとしたなら、風や洪水が襲いかかると流されてしまいます。
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② 人はみんな建築家
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『三匹の子ブタ』の話をご存知ですね。一番上のお兄さんブタはわらで家を作りました。簡単に家が作れましたが、狼が息を吹きかけると、わらの家はあっという間に壊れてしまいました。二番目のお兄さん豚が木の枝で作った家も、狼の息で壊れてしまいました。一番下の弟豚は、レンガで家を造りました。重いレンガを積み上げて作るのでとても大変でしたが、やっと丈夫なレンガの家ができました。狼が来た時も、レンガの家はびくともしませんでした。皆はどのブタさんになりたいですか?レンガの家を作ったブタさんですか?イエス様は、みんなが丈夫なレンガの家のようにしっかりした人になってほしいと思っています。そのために聖書のお話をよく聞き、イエス様が教えて下さったことをするようになって欲しいと願っています。ただし、み言葉に聞いて生きれば嵐や洪水が来ないということではありません。信じて生きていても、悲しいことや自分の存在を根底から揺さぶる出来事は起きてきます。でも、その時こそ、「み言葉」の持つ力を証しする機会です。
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③ 揺るがない土台の上に |
私たちは一人ひとり自分の人生を造り上げていく建築家、一生をかけて自分の家を建てる者だと言えるのではないでしょうか。ただ自分の考えだけで生きていくと悲惨な結末、つまり「倒れて、その倒れ方がひどかった」ということになります。だからイエス様と一緒に生きる必要があります。それは「み言葉」に聞いて生きることです。イエス様は、私たちが、岩のように動かない、しっかりした「揺るがない土台の上に」自分を組み立ててねって言っておられます。聖書には「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人」だよと書かれています。「岩」とは、イエス様が語られた「み言葉」のことです。イエス様の言うとおりに生きてみましょう。これが、イエス様のみ言葉を土台にして、自分を組み立てるってことです。私たちは今、こうして、毎週、礼拝を捧げています。礼拝で聖書の言葉を読んで、説教を聞きます。こうして、少しずつ「み言葉」を自分の土台にしようとしているのです。礼拝で聞いた「み言葉」に支えられて、新しい一週間の歩みを始めます。今、みんなはその大切な「み言葉」を体にためているところです。いつか、その「み言葉」に支えられていると感じる時が必ずあると信じて、イエス様に従って参りましょう!
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