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復活節第7主日礼拝 説教要約
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2024年5月12日
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聖書 マタイによる福音書 第5章43~48節
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43 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と
命じられている。
44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者の
ために祈りなさい。
45 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人
にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせ
てくださるからである。
46 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな
報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。
47 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをした
ことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
48 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたが
たも完全な者となりなさい。」
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説教「みんなを愛します」 要約
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① 敵を愛しなさい(43節)
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意地悪をする人や悪口を言う人を「いやだな」と思って憎むのは当然だよと思うかもしれません。仕返しをしたくなるかもしれません。 ゆうりさんは、お父さんがシンガポール人、お母さんが日本人。小学5年生までシンガポールで勉強していました。シンガポールの社会科教科書には、昔、日本の軍隊がシンガポールの町を破壊し、住んでいた人を苦しめたことが書いてありました。教室では、ゆうりさん以外は皆シンガポール人です。ゆうりさんは悲しくなりました。ゆうりさんは、日本は許せないと思いました。シンガポールでは楽しく過ごしていましたが、心のどこかに日本人であることの苦しみがありました。ゆうりさんはシンガポールの人をいじめたわけではないけれど、悪いことをした日本人の仲間だという思いがありました。シンガポールの人がゆうりさんを「敵」だと思っても仕方ありません。でも友達はゆうりさんと仲良くしてくれましたし、優しい先生もいました。ゆうりさんは自分が許されたように感じて、愛することは許すことだと教えられたのでした。
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② 神様の全能の力によって敵をも愛する(48節)
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敵をも愛する理由は、私たちが天の父の子となるためです(45節)。父である神様は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さいます(同)。神様の子である私たちは、父である神様に倣う者です。祈りつつ愛を行うならば、神様がそのような人に変えて下さいます。イエス様は十字架の上で、自分を殺そうとしている人たちのためにお祈りしました。あの人たちを赦してあげて下さいと、父なる神様にお祈りしたのです(ルカ23:34)。またアメリカで黒人の選挙権などを求めて活動したマーティン・ルーサー・キング牧師は、「憎悪には愛で答え、肉体的暴力には魂の力で答える」と言い、それを実践しました。力による問題解決で希望を見ることはできません。非暴力の持つ道徳的な基盤に互いの足場を置くことで、希望を見出すことができます。「神様の全能の力によって敵をも愛する者」にならせて下さい」と祈ることにより私たちはイエス様が十字架の苦しみにより救って下さったことを思い出し、敵を愛する者に変えられていきます。
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③ みんなを愛します |
愛するとは相手に関心を持つことです。敵である人にも悲しみや苦しみがあることや、その人が神様を知らないことに思いを寄せるなら、憎むよりもその人が救われるように祈ることへと導かれるでしょう。相手に関心を持つことは簡単ではありません。相手の言い分を聞く努力が必要だからです。自分の正しさを主張することに一生懸命であればあるだけ、相手を知ろうとする努力がおろそかになります。 コスタリカでは平和教育として、対立する事柄を忍耐によって平和的に解決する方法を学んでいるそうです。神様は私たちのわがままを忍耐しておられます。この神様の忍耐は愛に根差しています。私たちも神様の子として、愛に根差した忍耐を学びたいと思います。もう一つ、愛することは赦すことです。敵であっても赦すことは、憎しみを終わらせる最善の方法です。憎しみは憎しみを生みます。愛することは憎しみを消し去ります。神様の子どもであるイエス様は、お父さまである神様の心をよく知っていました。神様がどんな人でも愛しておられたので、イエス様はどんな人でも大切にして、その人とお友達になりました。イエス様はご自分をいじめた人たちのことも愛しました。私たちもイエス様のように嫌いな人も含めて、みんなを愛していきましょう。
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