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復活節第6主日礼拝 説教要約
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2024年5月5日
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聖書 マタイによる福音書 第5章17~20節
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17 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
廃止するためではなく、完成するためである。
18 はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、
律法の文字から一点一画も消え去ることはない。
19 だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に
教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、
そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。
20 言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義に
まさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」
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説教「神様との約束」 要約
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① 今朝の聖書を知る
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イエス様は律法や預言者を「廃止するためではなく、完成するため」(17節)に来られました。律法や預言者を完成するとは、律法や預言者の本来の目的を実現することです。ではその本来の目的とは何でしょうか。律法は、究極的には、神と隣人への愛の戒めに凝縮されるとイエス様は教えて下さいました。イエス様は、律法が人の心に書かれるために、律法の義の要求が満たされるために、この世に来られました。そして安息日であっても手の萎えた人を癒すこと等を通して、律法は義を行うことであり、命を救うものであることを示されました。「すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで」(18節)とは、イエス様が再び来られる終末の完成の時までのことで、今の時代を表わしています。この時代において、律法のすべての戒めが有効なのです。律法はイエス様が再び来られるまでの間、私たちを主の道に導きます。善を行い、命を救うための律法を軽く考え、適当に守る人は天の国で最も小さい者とされてしまいます(19節)。義とは神様との正しい関係に生きることです。
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② 律法は義を行うこと、命を救うもの
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しのちゃんは加奈ちゃんから「学校が終わったら公園で遊ぼう」と誘われました。それで二人は一度お家に帰った後、公園で会う約束をしました。しのちゃんは、お家に帰り、お母さんに「公園に行ってきます」と言って出かけました。でも加奈ちゃんは来ません。随分待ったのですが来ないので悲しくなって家に帰りました。そして加奈ちゃんに電話すると、加奈ちゃんは約束を忘れて買い物に行っていたのでした。 『走れ、メロス』という物語があります。王の怒りに触れて殺されそうになったメロスは、三日間待って下さいとお願いしました。妹の結婚式に出るためです。そして、彼の親友が<身代わり>になってくれました。メロスは親友に必ず帰ってくると約束して出かけましたが、帰りの道でいろいろな困難に遭い、疲れ果てて帰るのを諦めかけました。それでも自分を信じて待っている親友のもとへ走り、処刑直前に間に合いました。この美しい友情を見た王は、メロスを殺すのをやめたのです。こういうお話です。約束を守ることは決して簡単な事ではありません。
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③ 神様との約束 |
誰かと約束したら、それをしっかり守ることが、その人と仲良くするためには大切です。ちゃんと約束を守ることは、親やお友だちを「好きだよ」と示すことです。同じように律法を守ることは、「神様が大好きです」と示すことなのです。約束を守るということは、簡単なことではないけれど、お友だちを好きなら約束を守ろうと努力するでしょう。そのように神様が好きなら、神様との約束を守ろうとします。神様との約束は、「私はあなたを愛しているよ。だからあなたも神様を愛し、お友だちを愛してね」ということです。私たちは、いつもこの約束を大切にしたいですね。でも時には私たちは約束を忘れたり、メロスのように約束を守るのを諦めかけたりすることがあるかもしれません。いじわるされてカッとなって、お友だちを愛することが出来なくなるかも知れません。もし、神様との約束を守ろうとしても守れない時は、自分をダメ人間だと思わないで、イエス様にお祈りして、謝って下さい。そうすると、イエス様によって、約束を再び守れるように変えて頂けます。神様は私たちをとても愛しているので、私たちが幸せに生きることが出来るようにと約束を決めて下さったのです。神様との約束は皆を幸せにするためです。私たちを生かすものとなります。
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