主日礼拝 説教抄録  2024年度
    
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       復活節第4主日礼拝  説教要約

                 日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
                     
  2024年4月21日


    聖書    マタイによる福音書 第5章11~12節


       11  わたしのためにののしられ、迫害され、
         身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、
         あなたがたは幸いである。

       12  喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。
         あなたがたより前の預言者たちも、
         同じように迫害されたのである。 






       説教「悪口を言われても」 要約



① 「義の為に」迫害される人々は幸いである
 八つ目の「幸い」は、「義の為に迫害される人々は幸いである」(10節)です。「義の為に」とは「正しい事の為に」という事ですが、それをイエス様は「私の為に」(11節)と言い直されました。「義の為に迫害される」とは、「イエス様の為に辛い思いをさせられる」事です。イエス様を信じ、従うとは、イエス様がなさったように他者を大切にして生きる事です。しかし、イエス様に従う生き方が周囲の人たちに歓迎されるとは限りません。これが「イエス様の為に辛い思いをさせられる」という事です。皆に嫌われている人と友達になり、汚いと言われている人に触れ、困っている人を助ける。これはイエス様がなさった事です。私たちもイエス様にならって、そうしたいと思うでしょう。戦争のように、皆が間違った方向に行こうとしている時に、「それは間違っている」と言う事もあるでしょう。当時でしたら律法に反する事もありました。だから「ののしられ、迫害され、身に覚えもないことで悪口を浴びせられる」(11節)のです。でもイエス様はそれを「幸い」だと言われました。    
② なぜ迫害が「幸い」であり「喜び」となるのでしょう
 それは、「天には大きな報いがある」(12節)からです。その報いは、すぐに消えてしまうような、私たちの周りにある良い評判なんかとは全く違います。それは天の報い、神様の報いです。神様に覚えられて天に蓄えられます。空しく消えてしまう事はありません。神様に従う者たちへの迫害は、いつの時代にもありました。旧約聖書に出てくる「あなたがたより前の預言者たち」、アモスもイザヤもエレミヤも迫害を受けました。預言者たちとイエス様に従っていく「あなたたち」を、イエス様は同格に扱っています。どちらも神様のご意志を果たそうとする者たちです。その点で、イエス様の為に苦しい思いをしている仲間であると言われます。「義の為に迫害される人々」と言われても「ああ、私の事ではない」とまるで他人事のように思えるかもしれません。「義のために」なんて働いてないし、迫害もされていない。他の誰かの事だわ、と。いいえ、イエス様はそれを「私の為に」嫌な思いをするだろう「あなたがた」と言い直されました。これは正にあなたの事なのです。
③ 悪口を言われても   
 イエス様が示して下さった生き方をする時、辛い仕打ちや嫌な思いに出くわす事はきっとあります。その時に、私たちは折れてしまいそうになるかもしれません。「もう嫌だ、正しくなんか生きても損だ」という思いが頭をかすめるかもしれません。ですけれど、ちょっと待ってください。人の評価なんかよりも、神様にどう思われているかの方がずっと重要です。人の評価は移ろいます。しかし、神様は変わりません。私たちは安心してイエス様に従っていってよいのです。イエス様に従っていくと、嫌な思いをすることがあるでしょう。その時に、打ちひしがれてしまうことはありません。神様が報いてくださることを知っていますから、また立ち上がれます。それは幸いなことです。神様は私たちみんなことをちゃんと知っていて、忘れたりなんてなさらないって事です。ですから、私たちは何も心配することはありません。このまま、イエス様について行きましょう。嬉しいね。私たちがうれしい気持ちになったことを、神様もきっと喜んでくださいます。イエス様が「よい」とおっしゃっていることをしようとしているのに、笑われたり、悪口を言われたりするのは嫌だけれど、「それでいい、大丈夫」と言ってくださるから、このままイエス様についていきましょう。

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牧師 三原 信惠、伝道師 細井 宏一
 更新 : 2024. 4. 18  by mn

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