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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所 週 報
棕櫚の主日礼拝
2024年3月24日 午前10時30分~
司 式 細井伝道師
奏 楽 奏楽奉仕者
前 奏 (黙 祷)
招 詞 司式者
頌 栄 (真理は主イエス・キリスト) 一 同
交 読 詩篇59篇 一 同
聖 書 ヨハネによる福音書 18章1~18節
(新) p. 203
祈 祷 司式者
讃 美 歌 21-463番 一 同
使徒信条 21-93番( 4-A ) 一 同
讃 美 歌 21-502番 一 同
説 教 「イエス様は逃げない」 牧 師
祈 祷 牧 師
讃 美 歌 21-436番 一 同
献 金 ー困難にある人々への連帯を祈りつつー
感 謝 献金奉仕者
主 の 祈 21-93番 ( 5-A ) 一 同
讃 美 歌 21-91番 一 同
祝 祷 牧 師
後 奏 (黙 祷) 奏楽者
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棕櫚の主日礼拝 説教要約
聖書 ヨハネによる福音書 18章1~18節
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1 こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ
出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。
2 イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。
イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。
3 それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした
下役たちを引き連れて、そこにやって来た。
松明やともし火や武器を手にしていた。
4 イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、
「だれを捜しているのか」と言われた。
5 彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と
言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。
6 イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、
地に倒れた。
7 そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、
彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。
8 すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。
わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」
9 それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も
失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。
10 シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打って
かかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。
11 イエスはペトロに言われた。
「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」
12 そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、
イエスを捕らえて縛り、
13 まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファ
のしゅうとだったからである。
14 一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに
助言したのは、このカイアファであった。
15 シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司
の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、
16 ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、
そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。
17 門番の女中はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一人では
ありませんか。」ペトロは、「違う」と言った。
18 僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火に
あたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。
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説教要約 印刷用PDF
説教「イエス様は逃げない」要約
① 十字架の出来事 |
イエス様の十字架の出来事はここから始まります。イエス様は弟子たちとよく行っていたゲッセマネの園に行きます。沢山の人がイエス様の命を狙っている状況でそこに出かけるのは危険でした。イエス様を裏切った弟子のユダは、沢山の兵士や大祭司の手下を連れてきました。イエス様一人を捕まえるのに、そんなに多くの人を連れて来たことに驚きます。人々は勿論、武器を持っていたでしょう。普通なら怖くなりますがイエス様は前に進んで「誰を捜しているのか」と言います。彼らが「ナザレのイエスだ」と言うと、イエス様は「私である(エゴー・エイミ)」と言います。このやり取りが二回繰り返されます。「私である」という表現は、聖書では神様が「ここにいるよ」と人に伝える時に言う特別な言葉です。著者ヨハネは、ここでハッキリとイエス様は神様だと示しています。更に、その言葉を聞いた兵士たちが倒れてしまうほど、神様の言葉は力強いのです(6節)。そしてイエス様は「私を捜しているのなら、この人々は去らせなさい」と弟子たちを守りました(8節)。
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② イエス様は、逮捕される
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イエス様は弟子たちを逃がして自らは逮捕されます(8節)。そこでペトロともう一人の弟子はひそかに後をつけて行き、大祭司の中庭で炭火にあたって事の成り行きを見ることにしました(15~18節)。もう一人の弟子とは誰でしょう。大祭司の知り合いということはエルサレムに住む金持ちです。私はこのヨハネによる福音書の著者ではないかと思います。彼は顔パスでペトロを中に入れる事ができる人間です。焚火だと火に近づくと熱いですが、炭火だと近く寄り添って暖をとります。だからでしょうか、ペトロは女中、人々、僕らに「お前も弟子ではないのか」(17、25、26節)と言われてしまいます。ここで女の人がペトロを見て「あなたはあのイエスの弟子でしょう?」と聞いてきた時ペトロはとっさに「違う」と嘘をつきます。自分も捕まってしまうと思ったからです。こうして大好きなイエス様のことを三度も裏切ってしまったのです。十字架に立ち向かっていくイエス様の積極的な姿と、結局はイエス様を裏切ってしまうペトロの消極的な姿が対照的に書かれています。
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③ イエス様は逃げない |
今朝の聖書箇所では、武器を持った沢山の人がイエス様をつかまえに来た時、イエス様は逃げませんでした。つかまれば十字架につけられて死んでしまうことがわかっていても、イエス様は逃げませんでした。なぜ、逃げなかったのでしょう? イエス様が逃げなかったのは、神様が私たちを大切にして下さっていることを伝えるためでした。私たちはそんなイエス様の前向きに進んでいく姿にとても励まされます。そしてどんな武器にも負けない、どんな悪いことにもおびえない、強くて優しい神様の言葉を、私たちは今、聖書をとおして聞いています。「わたしである」と言った言葉は、私たちに対する「神様であるわたしがそばにいるから、安心していいよ」というメッセージです。私たちも、ペトロのように、怖がりで、嘘つきで、大切な家族や友達のことを悲しませてしまうことがあります。イエス様は、そのことをよく知っていて、それでも私たちを赦して、抱きしめてくださいます。「わたしである」と言ったイエス様は、いつもあなたと一緒にいるよ、どんな時も離れないよと約束しています。そのしるしが十字架です。十字架には、私たちにとって、とんでもなく大きい神様の愛情がたっぷりと込められています。イエス様を固く信じて、ご一緒しましょう!
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世祈祷日の説教からⅡ /「一致」と「一人一人」
エフェソ書4:3には、「霊による一致を保つように努めなさ
い」とあります。しかし、この世で「一致」というと、自分の
主義主張をソコソコにして、適当なところで折り合いをつけ、
妥協と忖度で何とか体裁を整えて、表面的に無理やり一致し
ているように見せかけている、というのが常ではないでしょ
うか。そのようなこの世の「一致」には限界と無理があり、し
ばしば分裂し、破綻していきます。なぜなら、全ての人間が
全く同じ思いになるということはあり得ないからです。神は、
人間一人一人を個性の違う豊かな存在としてお造りになりま
した。ですから、私達夫々の信仰の姿も、神という核心的中
心以外の周囲においては、違っていて良いのだし、賜物であ
る個性のタラントンとして、むしろ違っているハズなのです。
そのように考えれば、人間が一致しないのは、豊かな多様性
ある人間をお造りになった神の恵みだとわかるのです。
では、聖書の語る「真の一致」とは何でしょうか。それは、
私達人間が自らの能力や努力でつかめるようなものではあり
ません。神が私達人間に、与えて下さるものです。だから、私
達は、主イエス・キリストによってのみ一致し、一人一人が多
様で自由に、前向きに、積極的に、神の豊かな恵みを尋ねつ
つ、どこまでも主を第一とする者でありたいと願うものです。
コラム:細井宏一
新型コロナウイルス感染症対応のため、長らく礼拝は
自室礼拝(ご家庭内での礼拝)を原則としてきましたが、
2020年6月14日より会堂での主日礼拝を再開しました。
すでに「新型コロナウィルス感染防止対策」として周知
されている指針に基づき、できる限りの感染予防対策を
実施しながら主日礼拝を献げています。皆様にはご不便
とご迷惑をお掛け致しますが、ご留意いただきますよう
お願い申し上げます。特に体調のすぐれない方、健康面
に不安を抱えている方には、無理をなさらずに礼拝時刻
に合わせてホームページ上の週報をご覧の上、ご家庭内
で御言葉に聴き、祈りの内にお過ごしくださいますよう
お願い申し上げます。
なお、週報は主日礼拝の前日に週報棚に入れ、FAXを
お持ちの教会員の方にはFAXで週報をお送りいたします。
当日の週報ならびに説教要旨は、主日礼拝の前日までに
ホームページ上で閲覧できるようにいたします。事態の
早期収束を願うと共に、教会員の皆さまはじめ、悲しみ
と困難に直面する世界中の人々のことを覚え、主のみ守
りと支えが豊かにありますようにお祈り申し上げます。
2021.2.7 牧師・三原信惠
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2023年度 年間聖句
「見よ、新しいことをわたしは行う。
今や、それは芽生えている。」
(イザヤ書43章19節 a)
今週の祈り
・「能登半島地震」の被災者・被災教会のために。
・病や困難の中にある友のために。
・上地教会と知花スガ子牧師のために。
本日の集会
(感染予防対策を講じながら行います)
・9:40~10:20 教会養育
・10:20~10:30 礼拝準備祈祷会
・10:30~11:30 主日礼拝
・11:30~11:45 讃美歌練習 (担当:奏楽奉仕者)
・11:45~ お茶の会
楽しい交わりのひとときです!
どなたでもどうぞ!
今週の集会
・聖研祈祷会 3月28日(木) 10:30-11:30
ヨハネによる福音書 17章20~26節
(新)p.203
・信徒の友「日毎の糧」欄に載っている聖書日課の
御言葉に耳を傾けた後、”共に祈る教会”として
この日、同欄に紹介されている”上地教会”の
お働きを覚えて祈りを合わせます。
次主日のご案内
■イースター(復活節第1主日) 3月24日(日)
・教会養育の時間 午前 9:40~10:20
・礼拝準備祈祷会 午前10:20~10:30
・イースター礼拝 午前10:30~11:45
司 式 : 細井 宏一 伝道師
交 読 : 詩編 60編
聖 書 : マタイによる福音書28章1~10節
(新)p.59
説 教 :「もう一度、立ち上がる」 三原 牧師
配 餐 : 配餐奉仕者
献 金 : 献金奉仕者
奏 楽 : 奏楽奉仕者
讃美歌 : 21-325(キリスト・イェスは)
21ー333(主の復活、ハレルヤ)
21ー81 (主の食卓を囲み)
礼拝後、 イースター祝会:お食事と愛餐の時!
どなたでもどうぞ!
■ 中村匡克先生 召天のお知らせ
聖書研究者・英文学者としてお働きの傍ら、当伝道所
創設期より協力教師として長年に亘ってご尽力いただいた
中村匡克先生が、去る2024年3月1日召天されました。
そのお働きに心より感謝申し上げますとともに、謹んで
お知らせいたします。
「能登半島地震緊急救援募金」のご報告
2024年の歩みが始まると同時に、能登半島を中心に
最大震度7の地震が発生いたしました。日本基督教団では
能登半島地震による被災者の人道的支援・教会等の再建
支援のため、ただちに緊急救援募金を開始いたしました。
当伝道所では、1月第1主日~2月第1主日まで同募金
の呼びかけを行いました。その結果、送料を差引かせてい
ただいた31,337円を、送付先である日本基督教団
社会委員会に献金いたしました。募金にご協力いただき
ました方々に心より感謝申し上げます。
能登半島地震で被災された皆様のお体が守られ、大切な
存在とかけがえのないものを失った方々の悲しみが癒され
ますようお祈りいたします。
■ 先週の集会報告
・教会養育の時間 3月17日(日)男2、女4、計 6名
・主日礼拝 3月17日(日)男4、女8、計12名
・聖研祈祷会 3月21日(木)男2、女3、計 5名
■ 献 金 報 告
【 礼拝 献金 】 3月17日(日) 8,670円
◎当伝道所は、教会内外の多くの方々からの尊い献金によって
支えられています。心より感謝申し上げます。
尚、個人情報保護の観点から、牧師以外の礼拝奉仕者並びに
個人献金者の氏名は伏せさせていただきました。
ご了承下さい。
その他のご案内とご報告
■創作讃美歌「真理は、主イエス・キリスト」
今年度より当伝道所に赴任した細井伝道師が、神学校
在学時、讃美歌学の課題で提出した詞に、担当教師の
高浪晋一先生から、神学校卒業を記念して曲をつけて
いただきました。感謝申し上げます。
作曲者の承諾を得て、2022年4月より頌栄の讃美歌と
して毎主日礼拝にて讃美しています。
■「新つつみ通信・第5号」発行
三原牧師の巻頭言ほか、2022年度の伝道所の歩み
などを綴って、本年3月12日に発行いたしました。
伝道所に来会される方々にお配りしています。
また、細井伝道師が留学先のケンブリッジから毎週
送ってくださいました「活動報告」の内容は改めて
「新つつみ通信第5号・別冊」に掲載しましたので、
あわせてお読みください。
■ 前向き・肯定的に!
わたしたちのの社会がコロナ禍に直面し、3年の月日
が経過致しました。これまで経験したことのない大きな
災いによって、一日一日を生きること、そして、教会に
集って礼拝を献げられることが、決して当たり前のこと
ではないことを学ぶことができました。
この与えられた時を大切に、意味あるものとして過ご
すために、わたしたち堤伝道所では、2022年1月2日(日)
より「聖書通読」を再開しました。信仰の原点に帰って、
み言葉に聴き、おたがいが担っている試練を覚えながら、
共に祈り合い、支え合いながら歩みを進め、2022年12月
31日をもって、旧約聖書39巻すべての通読を無事終了
いたしました。主の見守りと導きに感謝するとともに、
教会に連なる皆様一人ひとりの祈りとご奉仕によって、
支えられたことを思い、心より御礼申し上げます。
しばらく中断しましたが、2023年5月14日から
聖書通読を始めました。新約聖書通読を2024年1月
で終了し、同年4月1日より”一日一章”を目安に旧約
聖書の通読を開始いたします。
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