主日礼拝 説教抄録  2023年度
    
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     受難節第5主日礼拝  説教「光の子になるために」

                 日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
                     
  2024年3月17日


     聖書  ヨハネによる福音書 12章20~36節

 
20 さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た
  人々の中に、何人かのギリシア人がいた。


21 彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、
  「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。


22 フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは
  行って、イエスに話した。


23 イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。

24 はっきり言っておく。
  一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
  だが、死ねば、多くの実を結ぶ。

25 自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を
  憎む人は、それを保って永遠の命に至る。

26 わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、
  わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。
  わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」
  人の子は上げられる


27 「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。
  『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。
  しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。


28 父よ、御名の栄光を現してください。」
  すると、天から声が聞こえた。
  「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」


29 そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、
  ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。


30 イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、
  わたしのためではなく、あなたがたのためだ。


31 今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。

32 わたしは地上から上げられるとき、
  すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」


33 イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、
  こう言われたのである。


34 すると、群衆は言葉を返した。
  「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられる
   と聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければ
   ならない、とどうして言われるのですか。
   その『人の子』とはだれのことですか。」


35 イエスは言われた。
  「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に
   追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。
   暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。


36 光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」





        説教「光の子になるために」 要約

① 「イエス様は「光」」
 エルサレムに着いたイエス様は、これから自分に起こる十字架の出来事に目を向け、それを受け入れ、イエス様はどういうお方なのか、そして神様を信じる人はどうあるべきかを、語っています。イエス様は光としてこの世に来られました。皆さんは「光」と聞くと何を思い浮べますか? 太陽? ろうそく? 電気? スマホ? 色々なものがあると思います。光は暗い所を明るくしてくれます。太陽の光だったら、温かさを感じたり、日差しを受けて気持ちよさを感じることもあるでしょう。イエス様も私たちの身の回りにある光と同じです。暗い所をパッと明るくし、温かさも感じます。でもイエス様は、十字架につけられて死んでしまいます。皆に沢山の良いことしてくれたのに、どうして死んでしまうの?と思います。イエス様を通して神様のことを皆に知ってほしい、信じてほしい。これがイエス様の願いでした。そのためには、十字架につけられて復活することが必要でした。そうすることで、神様の大きくて素晴らしい力を皆が知って神様を信じるようになるためです。
      
② 一粒の麦のたとえ
 何人かのギリシャ人がイエス様に会いに来ました。彼らはユダヤ人ではなく外国の人たち(異邦人)です。既にイエス様のことを知っていて信じたいという気持ちを持っていたのでしょう。そのことをきっかけにしてイエス様は、これから起こる十字架と復活について分かりやすいたとえで話し始めます。一粒の麦のたとえは聖書でも有名な言葉です。種はそのままだと小さいですが、地面に植えるとやがて沢山の花が咲いて実をつけます。イエス様はこの一粒の麦を自分のこととして捉えています。一粒の麦が地に落ちるのは十字架にかかって死ぬこととつながっています。しかし、その死は無駄ではなく沢山の人が神様の素晴らしさを知り、良い生き方をしていくためです。イエス様は「まさにこの時のために来た」とハッキリと言います(27節)。恐ろしい死を越えた先には、確かな喜びがあるのです。それを知るためには、「光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい」と言います(36節)。光は全てを生かす太陽のような存在。私たちに進む方向を示します。

③ 光の子になるために  
 どうすれば光の子になれるのでしょう。イエス様がなさったことを思い出してみましょう。イエス様は、出会う人を心から大切にされました。困っている人を助けたり、いつもそばにいる人のことを大切にして、言葉をかけたり、色々なことをしてきました。イエス様と同じように、私たちもやってみればいいのです。小さなことでいいのです。イエス様にならうことで、自分が光となって誰かに生きる力を与えることができます。 私たち一人ひとりはもしかしたら今はまだ小さな光かもしれません。けれども、集まれば太陽のような大きな光になります。そんな小さな光が私たちみんなに与えられているのです。イエス様を信じることは、その光をもっと輝かせて大きくして、自分も他の人も大切にする生き方をすることです。イエス様は私たちが「光の子となるために、光のあるうちに、歩きなさい」と言います。イエス様の光を受けて、イエス様がしてくれたことを他の人にしてみましょう。それができれば、不安や恐れもだんだんなくなってきます。イエス様の十字架は、そんな光があることを教えてくれています。私たちも光の子として、イエス様にならって歩み、イエス様とつながりましょう。私たちの光は更に誰かに伝わって、どんどん広がっていきます。


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 更新 : 2024. 3. 13  by mn

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