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降誕節第3主日礼拝 説教「みんながお友だち」
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2024年1月14日
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聖書 ヤコブの手紙 第2章8~9節
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「みんながお友だち」 要約
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① 隣人愛を実践すること |
隣人愛を実践することを勧めるヤコブは、「隣人を自分のように愛しなさい」という律法を「最も尊い律法」(8節)と捉えています。イエス様も、律法学者から、「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」と問われた際、神を愛することと同じく、この律法を挙げて、「この二つに勝る掟は他にない」とおっしゃっています(マルコ12:28~31ほか)。そしてイエス様は、よきサマリア人のたとえ話を通して、「隣人になること」の大切さをお教えになっています(ルカ10:25~37)。人を分け隔てすることは、隣人愛を実践していないことになると、ヤコブは教えています。この章では具体的に、教会の中の二種類のメンバーが挙げられています。「金の指輪をはめた立派な身なりの人」と「汚らしい服装の貧しい人」(2節)です。「あなたがたは、貧しい人を辱めた」(6節)と書かれていますから、「もし差別するなら」という仮定の話ではなく、実際にヤコブの関わっている教会の中で、社会的地位や経済力の違いによって、差別が起こっていたということです。 |
② 人を分け隔てすること、差別、えこひいき |
ヤコブの手紙は、特に信仰と生活を切り離さないで考えることを教えています。「行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」(2:17)とヤコブは教えています。宗教改革者マルチン・ルターが、「ヤコブの手紙」のことを「藁の書」と言う根拠となった言葉が、17節です。ヤコブは、人を分け隔てして隣人愛を実践しないことを、「違犯者と断定されます」(9節)と言って、信仰の面でも、生活の面でも危険視しています。昨今、「ハラスメント」という言葉をよく耳にするようになりました。「○○ハラ」と略して言われることがほとんどです。「セクハラ」「パワハラ」は良く知られていますが、それ以外にも、数えきれないほどのハラスメント(ハラハラ)があります。「ハラスメントだ!」と必要以上に言われる「ハラスメント・ハラスメント(ハラハラ)なんてものまであるそうです。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、中国人への差別が起こったことも記憶に新しいことです。隣人愛の欠如からハラスメントは起こると言われます。 |
③ みんながお友だち |
イエス様は私たちの間に、沢山の「見えない壁」があることを教えてくださいました。美香ちゃんが、男の子から「女の子はあっちで女の子だけで遊んだらいいじゃん」と言われたらどうでしょう。リク君が、大人の人から「お前は子どもだから静かに座っていなさい」と言われたらどうでしょう。オリビアさんが、誰かさんから「なんでフィリピンに帰らないの?」と言われたらどうでしょう。どんな気持ちになるでしょうか。とても悲しいですね。神様は差別をなさらないお方です。だから、神様を信じる私たちが、差別することを、神様は悲しまれるのです。「神様を信じている」、「神様を愛している」と言いながら、差別をするなら、それは神様への裏切りです。私たちは、自分のことだけでなく、他の人の気持ちを考えることも大切なことです。自分では相手を傷つけるつもりはなくても、相手は傷ついてしまうことがあります。相手の気持ちを考えて、話したり行動したりするよう心がけたいものですね。私たちが、人を差別せずに、「みんながお友だち」と思って優しくすれば、神様は喜んで下さいます。そうすれば、神様の愛は、より一層、あなたに注がれるでしょう。愛は与えた分だけ減るのでなく、与えた以上に返ってくるからです。
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