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降誕前第3主日礼拝 説教「信仰の勇者ヨセフ」
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2023年12月10日
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聖書 マタイによる福音書 第1章18~21節
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「信仰の勇者ヨセフ」 要約
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① ヨセフ |
降誕物語の中でヨセフは忘れられた人物です。マリアがたたえられ、美しく描かれ、そして崇められさえしている時に、ヨセフについては彼が正しい人、大工、ダビデの血統に属するということのほかは、聖書に何ひとつ記録されておりません。降誕のどの画の中でも、ヨセフはほんの点景か聖母子の付属物のように、片隅に気兼ねしながら描かれているだけです。ヨセフは、この世的には立身も出世も得ず、英雄と讃美されることもないが、神様の目の前には『共に働く者』として選び受けた世の多くの普通人の代表とも言えるでしょう。神様はそのひとり子を世に遺すにあたって、母となるべき女性を選ぶよりも、いわば養父として保護者の役目を果たす男性を探すことの方に、はるかに骨を折られたのではないかと思うのです。もしこのヨセフのような思慮深い協力者が与えられなかったら、マリアは到底「救い主の母」といった大任に耐えられなかったのではないでしょうか。ヨセフに負わされた仕事は決してやさしいものではありませんでした。 |
② ヨセフに負わされた仕事 |
ヨセフは思慮遠謀型の見通しをもった人ではありませんでした。そのたびに主の使いが現れて、彼になすべきことを告げました(マタイ1:20,2:13,12)。その命令に、たぶん当惑もしながら、しかし従順に応答し、その務めを果たして行きました。あのニュウマンの讃美歌のようです。
「ゆくすえ遠く見るを願わじ 主よ、わが弱さ足を守りて
ひとあし、またひとあし みちをば示したまえ」
(54年版讃美歌288番2節)
ヨセフにとっては、身に覚えもなく婚約者の妊娠を発見した時の彼の憤慨と、そして噂が広がった時に彼が置かれるであろう侮辱とを考えてみれば、そしてさらに、マリアが無理解な世間の人々から石で打たれるかもしれない仕打ちを考えてみれば、ヨセフのとった態度はまさに信仰の勇気と勝利というべきでしょう。ヨセフは忘れられたアドベントの人物です。しかし、彼の信仰的な態度、従順、決断、勇気、そして思慮深さは、忘れてはならない、とても大切なことです。 |
③ 信仰の勇者ヨセフ |
ヘロデ王はユダヤ人の王が生まれた筈だ、という三人の博士の星占いに怖れおののき、ベツレヘムおよびその近くに生まれた二歳以下の赤子を皆殺しにしようと考えました。それを見抜いた神様はヨセフの夢に天使を送り、「起きて幼子とその母とを連れてエジプトに逃れ、我が汝に告げるまで、そこに留まれ」と言わせました。彼はどうしたでしょう。「ヨセフは起きて幼子とその母とを連れて夜エジプトに逃れ、ヘロデの死ぬまでそこにいた」と聖書は淡々と書いていますが、これは大変なことです。夢で神様の啓示を受けるや、すぐその通りに三人だけで夜のうちに逃亡する。しかもエジプトは昔からイスラエルの敵地でした。無学のヨセフは、ひたすら神様の勧めを信じ、赤子と産後間もないマリアを連れて、頼るあてもないエジプト、砂地の続くエジプトに向かって旅立ったのです。これがヨセフの歩いた道、イエスとマリアはロバに乗ってそれに従いました。時として人間の行為が主の栄光に必要な時があります。ヨセフは私たちにそのことを教えています。主の栄光となる行為のために、信仰の勇気を出しましょう!当惑と困難の中で、誤りなく神様の示しに応答し、勇気をもって服従の歩みを続けたヨセフにならう者となりましょう。
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