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降誕前第4主日礼拝 説教「イエス様はどこから」
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2023年12月3日
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聖書 ヨハネによる福音書 第7章25~31節
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「イエス様はどこから」 要約
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① アドベント(待降節)に入る |
イエス様のおいでになるのをお待ちするアドベントに入りました。しかし、待つと言っても、まだここに来ておられないかのように待つのではありません。これまでもよく知っていたつもりのイエス様を私たちのメシアとしてお迎えするのです。「メシア」という言葉が出てきました。「救い主」のことです。メシアとは、ヘブライ語で「油を注がれた人」、同じ意味のギリシャ語は「キリスト」です。今朝の場面では、イエス様はもう地上に来ておられるのに、このイエス様がメシアなのかどうかを、みんなは取り囲んで議論するばかりで、ちっとも結論が出ません。ヨハネ福音書によれば、イエス様はエルサレムに三回もおいでになっています。今日のところはその二回目で、ちょうどユダヤの仮庵祭が行われていた時のことです。既にイエス様を殺そうとねらっている人たちがいるのに、それを知りながらやって来るとは、飛んで火に入る夏の虫です。しかしまだ十字架につく時ではありません。十字架は、天の父なる神様だけがお決めになることです。 |
② イエス様はどこの出身か |
十字架につけてしまえと言っている人もいますが誰も捕まえることができません(30節)。イエス様が神殿の境内で堂々と教えるお姿を見た人たちは、近づかないようにしながらも、気になって、さまざまに言い合います(25~27節)。中にはイエス様を信じる人たちもいて、ひそかな期待を寄せ続けています(31節)。どの言葉もピントが合っていません。しかし「この人がどこの出身かを知っている」という声を聞かれたイエス様は、大声でお話しになりました(28~29節)。「出身」について、みんなが知っていることは、表面的なことに過ぎません。天の父なる神様がイエス様をお遣わしになりました。これが大切なことです。「イエスはどこの出身か」の答えです。そしてこれは「イエスとは誰か」ということの答えでもあります。イエス様が「どこの出身か」「どこから来られたか」という問いに答えることは、私たちの信仰にとって大切なことです。それはイエス様が誰なのか、どういうお方であるのか、という問いに答えるのと同じ重みがあります。 |
③ イエス様はどこから |
イエス様のことは、みんな知っているつもりです。名前も、顔も、どこの町に住んでいるかも、ガリラヤ地方のナザレという町で大工をしているヨセフとマリアの家に生まれて育ったことも知っています。でも、イエス様のことをどんなに調べても、それでイエス様のことがわかるわけではありません。その時です。突然、みんなのひそひそ話を吹き飛ばすような大声で、イエス様が言いました「わたしをお遣わしになったのは誰でしょう」。それが分かれば、イエス様のこともわかります。イエス様は、天の父である神様のもとから、わたしたちの救いのために来られた、神のひとり子です。イエス様が「どこから来たか」が分かれば、これから、「どこへ行くのか」もわかります。イエス様は、私たちがこれから行こうとしている道を先に行ってくださいます。父である神様が愛を込めてお送りくださったイエス様をお迎えしましょう。イエス様と一緒に歩いて行けば、私たちも「神様の国」の人になります。そして、神様の愛を世界のみんなと分け合いながら歩く「神様の子たち」になるのです。神様がお送りくださったイエス様をお迎えする最初のアドベントを迎えました。クリスマスまでの毎日を、うれしい気持ちで、大切に過ごしましょう!
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