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永眠者記念日礼拝 説教「終わりのある人生を」
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2023年11月5日
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聖書 ヨハネの黙示録 第2章10節 b
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「終わりのある人生を」 要約
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① 永眠者記念日の意味 |
私たちの日本キリスト教団では、毎年11月の第一主日を「聖徒の日」として、永眠者記念日礼拝を行っております。私たちが行う「永眠者記念会」とか「永眠者記念日礼拝」は、決して、故人の供養と言いますか、死者のために冥福を祈る、死者のためにとりなしをすることにあるのではありません。この永眠者記念日の意味は、遺族を励まし、故人とその信仰を想起しながら、故人を生かした、主の恵みを覚え、感謝・讃美する中で、私たち一人ひとりが、自分の死を覚え、その死の準備をすることにこそ、この礼拝の意味があるのです。ドイツ語は、動物の死を「フェアエンデ」と言い、人間の死は「シュテルンベン」と言って、人と動物の死を区別しています。動物の死の場合、エンデは「終わり」、フェアは「減じていく」「終わりがますます終わりになっていく」ということを意味し、肉体が衰弱したら終わる、そういう死です。しかし、人間の死は、生命の終焉を自覚しての死です。私たちの生と死は神のご計画によって与えられているのです。 |
② 人生の終わり |
「終わり」という言葉を私たち日本人はあまり好みません。結婚式などのお祝いの席でどのような文脈であったとしても、この「終わり」という言葉が出てきますと忽ちひんしゅくをかってしまうような風潮があります。それは終わりという意味が最後・もう先がなく、これでおしまいという悲劇的な雰囲気があるからだと思います。ところが英語のENDという言葉も、漢字の「終わり」即ち「しゅう」という言葉も、このような悲劇的・虚無的意味を持っているだけの単語ではないのです。ENDには完成とか目的という意味がありますし、漢字では最後の一点を指すのではなく蓄え充実してそこに至ることを、即ち、財産や食物が散逸しないで持続してあることを意味しているのです。中国最古の『詩経』に、次のような言葉があります。「初めのないものはない。しかし、終わりを勝ち得るものは少ない」。これが「有終の美」という意味だと思います。 |
③ 終わりのある人生を |
それは優れて素晴らしい終わりとしての優秀の美ではなく、終わりの有る美、即ちオリンピックのマラソンランナーが走り通してゴールに入る素晴らしさを示しているのです。上位入賞者が有終の美を指しているのではなく、艱難辛苦の中で、途中で放り出さず、目的を達成し得ることを有終の美と表現しているのです。さて、それでは人生の終わりをあなたはいかに迎えようとされておられるのでしょうか。「子孫に美田を残さず」という言葉があります。それは今の私たちの関わりを見事に言い表していると言えますし、同時に今の時代の人生観をも示している言葉であるとも思います。『ヨハネの黙示録』の著者はスミルナの教会に向かって「死に至るまで忠実であれ」と呼びかけます。人生、苦しむことがありますが、主イエスに対する忠実を死に至るまで持続せよ」と言うのです。人生は、暦の2023年があと2月足らずで終わるように、確実に、何時の日にか、私たちはこの世からおさらばしなければなりません。どのように医学が進歩し、物質的豊かさが世界を覆い、戦争と自然破壊のない時代が仮に来ようと、私たちはいつの日にか、死なねばなりません。その時、あなたは「有終の美」を迎える生き方をしているでしょうか?あなたも死に至るまで持ち続ける価値あるもの主イエス・キリストを信じる信仰を持ってみませんか。
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