主日礼拝 説教抄録  2023年度
    
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   聖霊降臨節第23主日礼拝  説教「偉くなることではなく」

                 日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
                     
  2023年10月23日


聖書  マルコによる福音書 第10章35~40節

「偉くなることではなく」 要約
イエス、十字架の道、神の国の在り方について語る
 イエス様は直前の箇所で、エルサレム(十字架)に向かうにあたって3回目の受難予告をしますが、ヤコブとヨハネはその意味を理解しておらず、37節のようなことを願い出るのです。「栄光をお受けになるとき」(37節)という言葉から、ヤコブとヨハネはイエス様がダビデの子孫として王となり、ダビデ王国を再興する権力者となると考えていたことがわかります。そして、自分たちを他の弟子たちよりも偉い、王に次ぐ権力者の座である右と左に就かせてくださいと願い出ます。ヤコブとヨハネに対して、イエス様は「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない」と言って、38節「このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか」と問います。「杯」は神から受ける苦難のこと、「洗礼」は神の裁きを受けることを意味します。つまり「杯」を飲み「洗礼」を受けるとは、主の十字架の死を意味します。十字架の道、神の国の在り方はこの世とは逆の原理が働くのだということをイエス様は語られたのです。            
② 聖書を知る
 35節から45節までが一つの物語であり、今朝は、その前半部分(35~40節)となります。35節から45節では、将来の出世の約束を取り付けようとするヤコブとヨハネ、それを起こる弟子たちがいます。イエス様を信じて生きるとはどういうことなのかがこの物語では記されています。35節から40節には、上下関係があるこの世において、偉くなりたいという欲が人には生まれ、この世は罪深いものとなります。しかし、神の国においては、信じる者皆がイエス様の右と左に座ることができ、上下関係はないのです(40節)。ヤコブとヨハネは、イエス様がやがて、この世界を権力で支配する王様になると思っていたため、他の弟子たちを出し抜いて自分たちだけ特別に、王に次ぐ権力者でいたいと願ったのです。これを聞いた他の弟子たちも腹を立てます(41節)。結局、弟子たち全員が、神の国の在り方について理解していなかったということです。もし私たちが、他の人よりも特別に神様に愛されたいと思っているなら、無理解の弟子たちと同じです。
③ 偉くなることではなく
 イエス様のこと、神の国について分かっていない弟子にイエス様は一つの問いを投げかけます。「あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることができるか」。つまり、あなたはわたしと一緒に苦しむことができるか、ということです。偉くなりたい一心で彼らは「できます」と言います。でも、この後弟子たちはイエス様の十字架から逃げました。この時は何も分かっていなかったのです。イエス様は、「わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない」と言い、イエス様を信じる私たち全員が、右にも左にも座ると教えてくださいました。つまり、神様を信じて生きることに、神の国に、偉くなりたい、という思いは必要ないのです。何よりもイエス様は、天から人の低さに降り、上下のない関係の中で弟子たちと歩み、ご自分のためではなく、私たちのため(45節)に十字架にかかったのです。このイエス様の思いを受け取った私たちにとって、誰が偉いかなど関係ありません。ただ十字架の道を歩んでくださるイエス様のことを喜びとして受け取って、今日から始まるこの一週間も、安心して、過ごしましょう!

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牧師 三原 信惠、伝道師 細井 宏一
 更新 : 2023. 10. 27  by mn

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