主日礼拝 説教抄録  2023年度
    
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   聖霊降臨節第22主日礼拝  説教「祝福の宣言に守られて」

                 日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
                     
  2023年10月22日


聖書  民数記 第6章22~27節

「祝福の宣言に守られて」 要約
アロンの祝福
 礼拝の最後、牧師は手を上げて祝祷をして皆さんを送り出します。復活したイエス様は地上で最後、手を上げながら弟子たちを祝福して天にあげられました。また旧約聖書のアロンという人も、神様からいただいた祝福の言葉を、イスラエルの人々に語りました。その時も手を上げて祝福がされました。アロンは、出エジプトの旅を導いたモーセと共に神に立てられた人であり、祭司です。祭司(レビ人)は当時、イスラエルの中で儀式を執り行っていた人で、今で言うならば礼拝に仕えていた人です。礼拝の中で、さまざまに祭司は神様に仕えていましたが、今朝の箇所で言われていることは、「民を祝福せよ」ということでした。イスラエルの人々は、祭司たちを通して、神様からの祝福の言葉を聴きました。24節から26節の祝福の言葉は、礼拝の祝祷で用いられる言葉ですが、祝祷は、祝福を祈り願っているのではありません。祝福の宣言です。力強い神の祝福の宣言によって私たちは派遣されていくのです。主の祝福は三つの文で語られています。            
② 祝福は三つの文
 一つ目は、24節「主があなたを祝福し、あなたを守られるように」。神様を主語として「守る」という動詞が詩編121編7節から8節に複数出てきます。これらの箇所から、神様の祝福を受けるとは、神様にどんな時も知られている、その守りの中に置かれていることを意味していることがわかります。二つ目は、25節「主が御顔を向けてあなたを照らし あなたに恵みを与えられるように」。コリントの信徒への手紙二4章6節に「イエス・キリストの御顔」という表現が出てきます。イエス様の御顔の光が向けられところに、祝福があります。三つ目は、26節「主が御顔をあなたに向けて あなたに平安を賜るように」です。「平安」はシャロームという言葉で「平和」と訳すこともできます。復活したイエス様は、弟子たちに「平和があるように」(ルカ24:36)と語ります。またその平和は、イエス様によって得られるのである(ヨハネ16:33)と言われています。私たちにもたらされている祝福について考える時、イエス様抜きの祝福は祝福ではありません。
③ 祝福の宣言に守られて
 中心聖句は、26節の祝福の言葉です。私たちが祝福について考える時、イエス様を抜きにして祝福を考えることはできません。イエス様の十字架のおかげで、私たちは祝福を受け、平安に生きることができるのです。祝福とは、神様の顔が私たちのすぐ近くに来てくださることです。御子イエス様が、この地上に遣わされて、私たちのすぐ近くに来てくださり、共に生きてくださいました。祝福の反対は、呪いです。私たちは、神様の願っている通りに生きることができない、本当は呪われて死んで終わる存在でしたが、イエス様が十字架におかかりになって代わりに呪われてくださいました。だから私たちはイエス様を通して祝福を受けることができるのです。イエス様の御顔の光に照らされ、恵みが私たちに与えられているのです。復活したイエス様は、弟子たちの真ん中に立って「あなたがたに平和があるように」と言われました。イエス様の十字架を通して、赦されているからこそ「あなたに平安があるように」と宣言されています。イエス様の十字架によって赦されたからこそ、平安に新しい1週間も生きていけるのです。私たちは、新しい1週間、何があったとしても、この祝福の守りの中にいることを忘れずに歩みたいと思います。

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牧師 三原 信惠、伝道師 細井 宏一
 更新 : 2023. 10. 20  by mn

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