主日礼拝 説教抄録  2023年度
    
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   聖霊降臨節第21主日礼拝  説教「信じる者はだれでも」

                 日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
                     
  2023年10月15日


聖書  マルコによる福音書 10章23~25節

「信じる者はだれでも」 要約
神の国に入る者とは どういう人なのか
 今朝は金持ちの青年が出てきます。若くて、お金持ちで、心配ごとなど無さそうに見える青年ですが、不安なことがありました。それは「何をすれば」、永遠の命、神の国に入ることができるのか、という問いでした。青年はこれ迄たくさん努力して、お金持ちなったのでしょう。神の国に入ることも、自分の力で何かをしたら入れると考えた彼は、イエス様に「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるのか」尋ねました。するとイエス様は、十戒の掟を守っているかと聞き返します。イエス様は、「何かをすれば」永遠の命を手にすることができる、と間違った考えを持った青年の自信満々な心を崩そうとされました。本当は、青年は十戒を全部守ることなどできていませんでした。彼はお金が大好きで、第一の戒めから守れていませんでした。彼にとっての神様はイエス様ではなく、お金でした。だからイエス様は彼に、神の国に入るために執着しているものを捨てて、「わたしに従いなさい」と言います。青年はイエス様の前から立ち去り去りました。            

金持ちが神の国に入るよりも、
      らくだが針の穴を通る方がまだ易しい(25節)


 イエス様は「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言われましたが、らくだと針の穴では、あまりに違いがひどくてわからないかもしれません。らくだは原文では「カメーロン」ですが、他の写本には「カミロン(ロープ)」ともあります。この方が、わかりやすいかもしれません。ユダヤ教では、「像を針の穴に通す」という言葉もあるそうです。昔のエルサレムの城壁の一部といわれる発掘箇所があります。そこには大きな門と、傍らに小さな門があります。この小さな門が、昔は「針の穴」と呼ばれたそうです。夜は門限ともなれば、大門は閉められて、小さな門、「針の穴」と呼ばれる門が開かれます。イエス様が言われたのは、この小門のことだと考えられています。とにかく、「金持ちが神の国に入るのは至難の業だ、ということの譬えなのです。ここでイエス様は、一般に考えられているように、「富める者は殆ど神の国に入れない、富を捨てなければ神の国に入ることはできない」と言われたのではありません。
③ 信じる者はだれでも
 青年にとって、イエス様に従うことを妨げるものが財産でした。財産が悪いのではありません。清貧であることが永遠の命を受け継ぐ鍵とはなりません。イエス様は、ご自身に従うことを妨げているものが何かを21節で明らかにしたのです。私たちも、イエス様に従うことを妨げるものがあるのではないか、と問われています。捨てるべきことは、一人一人さまざまです。しかし、私たち自身の心が何かに執着しているならば、それはイエス様に従っていないことを意味している、ということを覚えたいと思います。私たちが永遠の命を受けるためにイエス様は十字架の上で命を捨てられたのです(25節)。私たち、人にはできないことでも、神さまには可能です。永遠の命を受けるためにすべきことは、弱い自分を認めつつ、イエス様がしてくださったことをただ感謝して受け取ることなのです。私たちは自分の頑張りによって永遠の命を受け継ぐことはできません。イエス様を信じることによって、永遠の命を受け継ぐのです。だから「何をすれば」と心配しなくても良いのです。私たちは弱い自分を認めて、イエス様がしてくださったことをいつも受け取り、喜んで生きて生きましょう。大丈夫!信じる者はだれでも神の国に入れるのです。

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 更新 : 2023.10. 13  by mn

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