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聖霊降臨節第15主日礼拝 説教「天使の讃歌」
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2023年9月3日
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聖書 ルカによる福音書 第2章14節
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「天使の讃歌」 要約
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① 健やかに生きる |
聖書と讃美歌はキリスト教の命です。聖書は常に同じ聖書ですが、讃美歌は、時代と共に新しい讃美歌が生まれます。それぞれの時代の人々が、それぞれの自分の言葉で、自分を救ってくださった神の愛を賛美し、その喜びと感謝を歌ったのです。私たちが何気なく歌っている讃美歌の一つ一つに、その作詞者・作曲者の人生と信仰と祈りが込められています。21-155番(山べにむかいてわれ)は、人間は一人では生きていくことはできません。家族や友人、先輩、隣人からの助けが必要ですが、人の助けだけでは強く生きていくことはできません。私たちは、富士山があることを知っています。曇って見えなくても、今、富士山が見えないのは、富士山がないからではなく、自分の心に映ってこないからです。このように見えないものを見ることができる力を与えてくれるのが信仰です。人生には富士山を見ることができない日の方が多いかもしれません。そういう中で「健やかに生きる」には聖書を信じ、神の愛を信じ、歌いつつ日々を送ることです。 |
② 聖路加国際病院院長 日野原重明先生の証
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「赤とんぼ」や「からたちの花」で知られる山田耕筰が亡くなって40年(2005年の時点)東京成城の自宅で永眠される迄の15年間、彼の主治医を務めました。今年に入って記念イベントが幾つか催され、11月23日に茅ヶ崎市で「『山田耕筰』を讃える音楽祭」が開かれました。茅ヶ崎は彼が一時期を過ごし、「赤とんぼ」や「この道」を作曲した土地です。彼は詩人の北原白秋との親交も深く、今でも愛唱される歌曲の数々を共に生み出し日本語詩と音楽の融合に成功しました。耕筰は音楽学校に進む前、神戸の関西学院中等部で学んでいました。私も父(神戸栄光教会牧師、シュバイツァー博士を崇拝)の影響から、京大医学部に進む前、関学グリークラブOBでした。耕筰は60歳の時に脳梗塞で倒れ、左半身にまひが残りました。入院中はよく右手で病室のスケッチや自画像を描いていました。「上手ですね」と言うと、彼は画家を志していたが、東郷青児が、作曲の弟子入りをして来た時、「むしろ君が絵を」と勧めて、彼は、画家への道を諦めたそうです。 |
③ 天使の讃歌 |
ルカ福音書2章1~20節によると、イエスがお生まれになった時に天使が現れ、(いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ)と語ります。天使が語り終わると、天使と共に、天の大群が現れ、神を讃美して、いと高きところにいます神に栄光を帰し、地上の人には平和があるように、と歌います。その平和は、人間相互の平和ですが、より根本的に神からの平和です。しかも、人間一般というよりも、「御心に敵う人々」に与えられる平和なのです。ある日曜日の会堂、静まり返る中でオルガンの音が響き始めると、俄然この空間が動き出し活性化し、人々の心に深く何かが迫ってきます。やがてそこにエネルギーに満ちた世界がどんどん現れ出るのです。オルガンから湧き上がってくる宗教的音楽は、どれ程私たちの心を打ち、清め、魂を慰め、落ち込みがちな心を引き上げてくれることでしょう。「主とともにましませば、我に恐れなし」との気概に満たしてくれるのです。ああ、何という不思議な力!時に人間の発する言葉を遥かに上回る、上からの霊の風が吹いてきて、会堂は喜びのエネルギーで満たされるのです。讃美歌に、自分たちの信仰や希望のすべてを込めて歌う時、それは「天使の讃歌」となるのです。
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