主日礼拝 説教抄録  2023年度
    
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  聖霊降臨節第14主日礼拝  説教「安心しなさい。わたしだ。」

                 日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
                     
 2023年8月27日


聖書  マルコによる福音書 第6章45~52節

「安心しなさい。わたしだ。」 要約
「五千人の給食」の奇跡の後で
 今朝の物語はマタイ福音書、ヨハネ福音書にもあり、どちらも五千人の給食の後に記されています。45節でイエス様は群衆を解散する前に弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダに行かせます。奇跡によって高まった人々の民族的興奮に弟子たちが巻き込まれないためです。ベトサイダはガリラヤの北岸、ヨルダン川が湖に注ぎ込む河口のすぐ東にあり、ヨハネ福音書によればペトロ、アンデレ、フィリポの出身地です(1:44)。それからイエス様は大騒ぎをしている群衆を解散させると、神様に祈るため一人で山に退かれました(46節)。47節には弟子たちが陸地のイエス様と遠く隔たっていたことが強調されています。夕方になり、ガリラヤ湖にはいつものように強風が吹き始めました。ベトサイダに向かっていた弟子たちの舟は「逆風」(48節)のため、先に進むことができません。漁師であったペトロたちでさえ、どうすることもできません。イエス様が一緒にいてくれたら…と何度も思いました。しかし、今、イエス様は舟にはいないのです。            

湖上を歩いて弟子たちに近づくイエス様と弟子たちの反応


 逆風に漕ぎ悩む弟子たちと山に退かれたイエス様の間には夜の闇と湖の深淵が毅然と横たわっていました。それは容易に越えられない隔たりであり、突風を静めていただいた時のようには(マルコ4:38)、イエス様に助けを求めることのできない状況でした。が、イエス様は「弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て」(48節)、<湖の真ん中にいる弟子たちの様をご覧になっているイエス様がいる。漕ぎ悩む弟子たちの視野にはイエス様のお姿は全くない。彼らに見えるのは、ただ湖の波と風だけである。それは正に、私たちの現実でもある。この世の荒波は容赦なく吹き付ける。ときに信仰は、現実という手ごわい相手の前には「幽霊」のようにしか見えない>。やがて夜が明ける頃、弟子たちの目に湖の上を歩いてくる人が見えました。それはイエス様です。イエス様は逆風に漕ぎ悩む弟子たちを助けるために荒波の湖上を歩いて弟子たちの所に来られたのです。弟子たちは喜んだでしょうか。その反対です。弟子たちはイエス様だと信じられませんでした。
③ 安心しなさい。わたしだ。
 イエス様は弟子たちのそばを通り過ぎようとされました。ここには神の守りの御手があります。かつてモーセが主の栄光をお示しくださいと願うと、主は、主の栄光が通り過ぎるまで主の御手でモーセを覆うと答えました。(出エジプト記33:22)。イエス様は、おびえる弟子たちに、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(50節)と言われました。イエス様は私たちの命を贖う神様の御子です。イエス様は、おびえる弟子たちに優しく、愛を込めて「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われ、舟に乗り込まれると風は静まりました。イエス様の言葉には、弟子たちの恐れを取り除き、しっかりとした安心を与える力がありました。イエス様は天地を創造された神様の御子です。すべての人たちを苦しみから救うために、身代わりに自分の命をささげる救い主です。教会は、弟子たちの乗っていた舟にたとえられます。イエス様が荒波を乗り越えて必ず助けに来てくださいます。茅ヶ崎堤伝道所も設計の段階から弟子たちの乗った舟をあらわし、無力さと弱さを味わっている者に、同じ無力さと弱さを味わっているイエス様が、「大丈夫。私が行く所に、あなたは私と一緒にいる」と励まして下さいます。イエス様をお迎えしましょう。

〒253-0006 神奈川県茅ケ崎市堤19-6
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日本キリスト教団  茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠、伝道師 細井 宏一
 更新 : 2023. 8. 26  by mn

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