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聖霊降臨節第12主日礼拝 説教「命を支えるマナ」
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2023年8月13日
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聖書 出エジプト記 第16章12~15節
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「命を支えるマナ」 要約
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① 出エジプト記16章 |
昔、イスラエルの人たちは、エジプトの国で奴隷として苦しんでいました。毎日レンガを作り、朝から晩まで鞭で打たれながら働かされていました。神様はイスラエルの人たちの苦しみの叫びを聞き、彼らをエジプトから脱出させるためにモーセを遣わしました。モーセに導かれたイスラエルの人たちは、神様の力によって葦の海を渡り、神様の約束された乳と蜜の流れるカナンの地へ向かって旅をしたのです。ところが、彼らを待ち受けていたのは荒れ野の困難な旅でした。そこには水も食物もありません。喉は渇き、おなかが減ると、赤ちゃんや子どもたちはすぐに泣き始めます。大人がいくら我慢しなさいと言っても限度があります。そして我慢の限界を越えた時、イスラエルの人たちは食物のことでモーセとアロンに不平を爆発させたのです。「エジプトではおいしい肉の鍋を腹いっぱい食べることができた。ところが、今、この荒れ野で飢え死にしようとしている。一体、どうしてくれるのか」。神様はイスラエルの人たちの声を聞いて下さいました。 |
② 荒れ野の40年
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過酷な労働を強いられた奴隷が、肉のたっぷり入った鍋料理を食べられるはずはありません。主は人々の不平を聞き、夕暮れにはうずらの肉、朝にはパンによって満腹にし、それによって主が民をエジプトから連れ出した神であることを知るようになると言いました(12節)。神はイスラエルの民の命を養う主なのです。朝になると露が降り、露が蒸発すると地表を覆う薄くて壊れやすいものが霜のように残りました(14節)。民は「これは一体何だろう」と言います。モーセは、これが、主が与えた天からのパン、マナであると言いました(15節)。マナについては諸説ありますが、一説にギョリュウの木に付着した昆虫の分泌物で、白く甘みのある薄いパンのようなものだと言われます。しかし、日中気温が上がると溶けてしまいます。今日でもベドウィンの食べ物とされています。主はエジプトを出発したイスラエルの民を、地中海沿いの近道ではなく遠回りさせて荒れ野に導きました。民がペリシテとの闘いを恐れてエジプトに帰ると言わないためです。 |
③ 命を支えるマナ |
イスラエルの民が荒れ野で直面したのは、水と食物の問題でした。これは人が生きていく上で必要不可欠なものです。このことを誰よりもよく知っていたのは、命の造り主である主ご自身です。それゆえ、主は民の不平を罰することなく、水と食物のマナを与えてくださいました。このマナは、毎日一日分だけ与えられました。ところが、明日のことを心配した民は翌日まで残しておきますが、臭くなって食べられませんでした。主に信頼することを忘れ、日々の食物に思い煩う民の不信仰が示されます。イエス様は、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」(マタイ6:11)と主の祈りを教えました。日々の生活を養って下さる天の父への信仰が教えられています。六日目には二日分が与えられます。翌日の「安息日」の分です(23節)、創世記2章2~3節以降、ここではじめて安息日について言及します。ここにはマナが肉体の食物であるだけでなく、霊の食物として民の命を養う愛の恵みであることが教えられています。イエス様はご自分を永遠の命を与える生きたパンであると言われました(ヨハネ6:48~51)。神様は約束のカナンに着くまでの荒れ野の40年間、毎日マナという食べ物を与え、イスラエルの人々の命を守られたのです。
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