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聖霊降臨節第10主日礼拝 説教「嵐をしずめる」
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2023年7月30日
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聖書 マルコによる福音書 第4章35~41節
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「嵐をしずめる」 要約
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① マルコによる福音書 |
4章は、ほとんどが種に関する譬え話です。そして、譬え話で話す理由に関して10~12節にイザヤ書6章9~10節の言葉が引用されていますが、まるで理解せずに赦されないようになるためだと言わんばかりです。弟子たちには説明がついたことが33~34節に書かれていますが、群衆には説明なしで、9節と23節に「聞く耳のある者は聞きなさい」と書かれています。聴く耳の無い人は理解できなくてもよいということでしょうか。そうではなく、神様の憐みによって耳が開かれ、救われるということでしょう。14節の「種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである」と関連させると、神様の言葉はすべての人に与えられています。神様の言葉、神様の愛、神様の導きはすべての人に与えられているのだが、それと気が付いて良い結果を導き出す人は少ない。それでも人は神様の一方的な愛とイエス様の十字架の贖い(あがない)で救われるということを言いたいのではないでしょうか。人は誰でも、自分で気が付かないと身につかないものだからです。 |
② 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほど
であった(37節)
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イエス様が「向こう岸に渡ろう」と言われ、弟子たちは従います。舟で向こう岸に渡ろうというのですから、最初から天候が悪かった訳ではないでしょう。「急に湖が荒れた」のです。特定の時間帯に海(湖)から山へ、山から海(湖)へ吹く風を「海陸風」とか「湖陸風」と呼びます。水は温まりにくく冷めにくい、地面は温まりやすく冷めやすいという特徴があります。太陽が昇ると地面の方が早く温まるので陸地の気温が上がり、上昇気流が発生します。すると湖上の空気が陸地に向かって移動する、つまり風が吹くのです。日が沈むと陸地は早く冷めてしまいますが、水面はなかなかさめません。ですから空気の動きが逆転し、陸地から海へと吹き下ろす風になります。「逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んで」いた(マルコ6:48)のは夜の出来事です。山から吹き下ろす風によって、なかなか陸地へ近付けなかったのでしょう。更にガリラヤ湖の湖面は、標高-213m。周囲は標高が高く、盆地の底に湖があるので湖陸風もいっそう激しく吹くのです。 |
③ 嵐をしずめる |
イエス様は、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」(40節)と弟子たちに言いました。暗い夜、嵐に遭って恐れるのは当然でしょう。恐れは命を守るために必要な人間の感情です。が、恐れすぎると、勇気を失い動けなくなって命を縮めてしまうこともあります。過去の事に対して思い煩ったり、また、先の事を心配して恐れすぎるのは心と身体の健康に良くないことがあります。「取り越し苦労」という言葉があるように、心配するような事は、殆どが実際には起こらず、単なる妄想に過ぎないということもよくあるのではないでしょうか。この聖書の箇所でも、弟子たちは「船が沈み、死ぬかもしれない」と思い恐れているのですが、そうはならないのです。イエス様が「向こう岸に渡ろう」と言われたなら、何があっても向こう岸に行けるのです。恐れや不安を抱く時にそばにいて私たちを助けてくれるのは信仰です。神の子として嵐をすら静めることのできる権威あるイエス様は、私たちのそばで心に穏やかさ、静けさを与え、解決法を教えてくださいます。「信仰」はイエス様や神様に対する「信頼」です。人生において、大きな嵐があっても、すべてを超越するイエス様がそばにいてくださることに信頼し、祈りつつ歩んでまいりましょう。
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