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聖霊降臨節第7主日礼拝 説教「家族って なあに?」
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2023年7月9日
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聖書 マルコによる福音書 第3章31~35節
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「家族って なあに?」 要約
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① ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる(34節) |
聖書はイエスの母、兄弟について語ります。育ての親ヨセフの姿はここにはありません。イエスは言います。「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」と。「わたしの父がいる」とは言いません。イエスの父は神だからです。とすると、教会において「お父さん」のような存在があるとしたら、それは神様のようになって偉そうになってしまう危険性がありますから、あまり良くないことなのかもしれません。ここではイエスの母と兄弟たちが出てきています。聖書というのは不思議な書で、同じ話を聞いても、その受け取り方が人によって全く違うということがあります。この後半の箇所は、その典型的な例の一つでしょう。考えられる一方の反応は、「イエスは自分の家族に対して冷たい。こんな方だとは思わなかった。イエスは愛の方なのに、だったらまず自分の家族に対して、こんな冷たい態度を取ることはないでしょう」、というものです。もう一方の反応は「自分はイエス様の兄弟、家族とされている。ありがたいなぁ」。そういう受け取り方です。 |
② なぜこのような正反対の受け取り方が起きてしまうのでしょうか?
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それは聖書を読む時に、自分をどこに置いているのかによって起きる違いです。たとえば、ある人に「家族の絆こそ、何より大切」という考えが頑として先にあると、イエスの言葉は、自分たちがこの最も大切だと考える家族の絆を壊すものだ、そう感じてしまうのではないでしょうか。しかし、イエス様はここで、自分の家族など、どうでも良いのだと言っているわけではありません。そうではなくて、ここでは血のつながりという自然的絆を越えて立てられる、イエスとの兄弟関係の新しい世界が示されています。私たちにとって、一番大切な、一番基本的な、一番濃い交わりが家族であるということは言うまでもないことでしょう。けれども、その私たちの家族というものは、そのままで本当に何の問題もないものなのでしょうか。そうであったら良いかもしれませんが、なかなかそうはいかないこともある、それが私たちの現実ではないでしょうか。昔も今も、ニュースでも、更には聖書にも、多くの家庭内の大きな事件が取り上げられています。 |
③ 家族って なあに? |
最初の家族といえるアダムとエバの間に生まれたカインとアベルの兄弟は兄カインが弟アベルを殺すという結末を迎えました(創世記4:8)。またエサウとヤコブの双子の兄弟は弟ヤコブが兄エサウの権利をだまし取るということによって仲たがいをしてしまいます(同37:23~24)。聖書は、兄弟は皆、仲良く暮らしましたという話で満ちているわけではありません。聖書はそういう現実に向かって、新しい家族のあり方を示しているのではないでしょうか。家にはお父さんとお母さんが一人ずついて、子どもたちがいる、それが普通じゃない?としてしまうと、実はイエス様も普通じゃない家で育っています。血の繋がりのあるお父さんはイエス様にはいません。兄弟はいるけれど、イエス様の兄弟は皆、イエス様とはお父さんが違う兄弟です。血が繋がっていなくても一緒に暮したり大切に思いあう家族は、家族です。お母さんとお父さんは血が繋がっていませんよね。でも家族です。教会はイエス様がいて下さる所です。皆さんは今、色々な人と一緒に礼拝を捧げています。ということは、教会に集まる人は皆、家族なのです。イエス様は、本当の家族ってどんな人?って尋ねています。神様が与えて下さった人たちを大切にしていきましょう!
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