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聖霊降臨節第6主日礼拝 説教「え? わたし?」
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2023年7月2日
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聖書 マルコによる福音書 第3章13~19節
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「え? わたし?」 要約
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① 十二人(使徒)の任命 |
今日のところから、場面は湖畔から山へと移っています。「山」は、聖書では神に近づくところです(出エジプト19:3以下)。マルコ福音書では、「山」はイエスの祈り(6:46)、変容(9:2)、終末についての教え(13:3)などの場でもあります。四つの福音書はイエスが生前にイスカリオテのユダを含む十二人を任命したことを伝えています。「十二」とうのは神の民のイスラエルを構成する十二部族の数であり、従ってこの十二人はイエスによって創り出される新しい神の民の代表者であることが暗示されています。十二人の名前は、タダイ(マルコ3:18、マタイ10:3)の代わりにルカ福音書ではヤコブの子ユダ(ルカ6:16)となっている他は、マタイ・マルコ・ルカの三福音書とも全く同じです。マルコ福音書では十二人のうちペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレはイエスに特に近い弟子として繰り返し描かれていますが、他の弟子たちはイスカリオテのユダを除いて取り上げられていません。新約聖書全体をみてもマタイとフィリポとトマスのほかは見出されません。 |
② 「神様の国」は、いろいろな人が、神様に大切にされて、
みんなが仲良く暮らすところ
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今朝の聖書には沢山の固有名詞が出てきています。その中にはよく聞く名前もあれば、聞きなれない名前もあるでしょう。聖書に沿って考えれば、「イエスの弟子」を男性の弟子十二人のみという風には捉えない方がいいでしょう。神様はどんな人も大切にしておられます。そのことを伝えるためにイエス様は十二人の人を弟子として選ばれ、常に一緒にいて大切にされました。イエス様と弟子たちが一緒にいるのを見て、周りの人たちは、神様が一人ひとりを大切にして下さるということを感じました。そして弟子の「シモン」には「ペトロ(岩)」、「ヤコブと兄弟ヨハネ」には「ボアネルゲス」(雷の子)」という名前をつけ、それぞれの個性や賜物に応じて特別な使命を与えました。お弟子さんたちは、岩のように丈夫だったり、雷のように大きな声でお話したりするような人だったのかもしれません。イエス様はいろいろな人と一緒におられました。神様の国は、そのようないろいろな人が、神様に大切にされて、みんなが仲良く暮らすところなのです。 |
③ え? わたし? |
あなたが、もし明日から「岩」とか「石」とかいう名前になるとしたら、どう思います?「岩」という名前には意味がありました。「岩の上に」頑丈な教会を建てる、そんな意味があります。「三匹の子豚」の絵本を思い出しましょう。三番目の子豚はレンガを貰って家を建てました。一番目、二番目の、わらや木の枝で作った子豚の家は吹き飛んでしまいましたが、三番目の子豚のレンガの家は、「ふうふうのふっ、ふうふうのふっ」と、狼がいくら吹き飛ばそうとしても吹き飛ばされませんでしたね。レンガや、石や、岩は、わらや、木よりもずっと丈夫です。頑丈です。ペトロは、丈夫な体をしていたのかもしれないですね。また、頑固だったのかもしれないですね。けれどもペトロは、「悪かったな」と思う時に素直に改めて、神様と人にごめんなさいと謝って、自分を変える力も、持っていました。ペトロはいつも強い人ではありませんでした。殺されるのがこわくて、噓をついたこともありました。けれども、悪かった時、神様と人にあやまって、そんな自分を越えていった人です。今、私たちにできないことがあっても、神様は長い目で私たちを見守って下さっています。皆もイエス様に選ばれていて、守られていることを知っていて下さいね。
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