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聖霊降臨節第5主日礼拝 説教「安息日は誰のため?」
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2023年6月25日
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聖書 マルコによる福音書 第2章23~28節
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「安息日は誰のため?」 要約
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① 「安息日」の出来事 |
皆さんにとって日曜日って何の日ですか。教会では日曜日を安息日といって礼拝を献げています。でも何で日曜日を安息日と呼ぶのでしょう。今朝は安息日がどのような日なのかをイエス様が教えて下さったお話です。イエス様と弟子たちは福音を知らせるために町々を巡っていました。イエス様の宣教の歩みは止まりません。弟子たちも一生懸命イエス様に従いましたが、歩きっぱなしなのでお腹がペコペコです。麦畑にさしかかった時、弟子たちは麦の穂を摘んで食べることにしました。その日はちょうど安息日でした。すると突然、ファリサイ派の人たちがやってきて「安息日にはどんな仕事もしてはならないのに麦の穂を摘んでいる!律法違反だ!」とイエス様に文句を言いました。モーセの十戒にそんな約束があるからです。イエス様の弟子たちがこの時、麦の穂を摘んだのは文字通りなら十戒をやぶることでした。でも足を止めずに宣教をすすめることがイエス様の御心でした。そのために弟子たちが麦を食べることがここで必要だったのです。 |
② 安息日の律法
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旧約聖書には色々な形で安息日律法が載せられています。旧約聖書の律法はすべて、神様がモーセを通して民に与えられたという形をとっていますが、本当の所、長い年月をかけて出来てきたのです。根本的な所はモーセ時代に遡るのかもしれませんが、その後の発展した形のものも含まれているのです。イエス様の時代もファリサイ派の律法学者たちは、安息日に何をしていいか、何は、してはいけないか、事細かく定めていました。その中で、この出来事が起こります。現代の私たちならば、他人の畑に入って、麦の穂を摘むということがいけないことのように思いますが、当時はそうではありません。律法はわざわざそれを許しています(申命記23:25~26)。人々の批判に対して、イエス様は、ダビデの故事を用いて答えます。ダビデが、サウル王の追っ手から逃げる途中、空腹のままでは逃げ切ることができない状況で、祭司しか食べることが許されない供えのために聖別されたパンを空腹の家来たちと食べたという話です(サムエル記上21:1~7)。 |
③ 安息日は誰のため? |
今朝の聖書箇所マルコ2章23~28節は安息日に関する教えで、「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」(27節)は、マルコだけにある言葉です。ファリサイ派の人々は「安息日の厳守」の規定(出エジプト記35:1~3)から、安息日には労働をしてはならないと定め、労働とは何かを考えて、麦の穂を脱穀することが含まれると定めました。そこで、安息日にイエスの弟子たちが他人の畑の麦を摘んで食べたことは「労働」になると非難したのですがイエス様はサムエル記のダビデの故事を引用して、空腹という現実の問題の解決こそが宗教規定よりも重要な問題であるとお答えになりました。イエス様は「安息日は人のために定められた」と言われました。私たちは毎日、色んなことを頑張っています。日曜日はゆっくり寝ていたいとか、好きなことをしていたいと思うかもしれません。けれどイエス様はそんな忙しい私たちのために安息日があるのだと言われます。日曜日に神様を礼拝することが、私たちにとって一番の休息です。迷った時や疲れた時こそ礼拝に来て神様との豊かな交わりを求めて下さい。きっとイエス様が、あなたを慰め、励まして、喜んで新しい一歩を踏み出せるように導いて下さいます。
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