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聖霊降臨節第3主日礼拝 説教「起き上がって歩みだす」
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2023年6月11日
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聖書 マルコによる福音書 第2章1~12節
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「起き上がって歩みだす」 要約
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① 信仰には、妨げがある |
病気の人をイエス様の所に連れて行こうとする人々がいました。が、群衆に妨げられて、イエス様の所に行くことができません。当時の人だけでなく、今日の私たちも、経験することではないでしょうか。神に近づこうとすると、妨げが入ってきます。祈ろうとすると、何らかの妨げが入ってきます。信仰には、常に妨げがあります。しかし、彼らは諦めませんでした。病人のために、イエス様がおられる家の屋根から、「病人の寝ている床をつり降ろした」のです。信仰とは、困難を越えて近づいて行くところに表われてくるものではないでしょうか。この時、群衆が妨げとなりました。人が多くいても、一人ひとりの魂の癒やしには答えてくれません。むしろ妨げとなります。しかし、妨げを積極的に越えて行った人々の信仰に対して、イエス様が必ず答えられることを『マルコによる福音書』は示すのです。信仰は、どんな妨げにも負けないで、それを突き抜けてこそ、初めて生きたものとして証される。そういうものだと『マルコ』は告げるのです。 |
② イエス様と四人の男
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今朝の聖書箇所、『マルコによる福音書』2章1~12節に、イエス様が「カファルナウムに来られると、家に…」(1節)とあります。この家は1章29節との関連では、シモンとアンデレの家と考えられます。そして「四人の男」(3節)とはイエス様の最初の弟子…♪主からペトロと呼ばれたシモン、アンデレはその兄弟ヨナの子たち、ゼベダイの子ヤコブ、兄弟ヨハネ♪…の四人でしょう。彼らが中風の人を連れて来て、屋根をはがして穴を開け、病人をつり降ろしたと3~4節に書かれています。四人の男ですから、することが荒っぽい。家の中にいる人たちは土誇が舞って大変なことになったでしょう。しかし、イエス様はそのことをお𠮟りになるのではなく、「その人たちの信仰を見て」(5節)、病人を癒やされました。人の迷惑など考えもしないほど病気の友のことを考えている人々の信仰がイエス様を動かしたのです。「人々は皆驚き」(12節) 神を賛美したとあります。この「驚き」という言葉の本来の意味は、「気が変になるほど驚く」という意味です。 |
③ 起き上がって歩みだす |
イエス様が中風の人に、最後に言われた言葉は「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」です。そして後、「その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々はみな驚き、『このようなことは、今まで見たことがない』と言って神を賛美した」(12節)とあります。これは<大丈夫!主が共におられる。たとえ、どのような状況にあっても、あなたは起き上がることが出来る>という言葉です。私たちがどのような絶望的な極限状況にあっても、主と共に起き上がることが出来るのです。起き上がりましょう!突進して行きましょう!信仰とはそういうものです。どんな立派な言葉を語っても、どれだけ神のことが分かっても、救いの中に起き上がる姿勢がない所で、突進して行く決心もない所で、信仰と呼ばれるに値するものは何もありません。黙っていてもいい、主が語られた言葉に起き上がり、救いの中へ突進するのです。私たちより主の方がもっと激しく突き進まれたではありませんか。イエス様は十字架上でご自分の体を裂かれました。そして神様との和解の道を開かれました。それだけの犠牲を払って私たちに神様の愛を示されたのです。そのことを一人ひとりの心に刻みましょう!
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