主日礼拝 説教抄録  2022年度
    
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        復活前第2主日(受難節第5主日)礼拝 
        
         説教「ブドウ園の農夫たちの罪」

                日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
                     
 2023年3月26日


聖書 ルカによる福音書 第20章9~19節

「ブドウ園の農夫たちの罪」 要約
イエス様の死と復活が暗示される「たとえ話」
 レントも深まり、いよいよ来週は「棕梠の主日」です。今朝の聖書の個所では、イエス様の死と復活が暗示されるたとえ話が記されています。ガリラヤ周辺では、古代より多くのブドウ園が作られ、品質の良いブドウ酒も生産されていました。が、イエス様がおられた時代は、この周辺一帯もローマ帝国の傘下にあり、ブドウ園も、たいてい国外に住む大富豪のものとなっていました。どれほど力を尽くしてブドウを育てたとしても、その実りが国外に流れてしまうという社会の中で、イエス様は「ブドウ園と農夫のたとえ」と呼ばれる話をされました。ブドウ園の農夫たちは、主人から遣わされてきた僕を追い出し、最後にはその主人の息子を殺してしまいました。この息子の殺害は、「相続財産を我々のものにしよう」という意図をもった冷静な判断によってなされた行動でした。イエス様の十字架の死も同じでした。聖書には「十字架につけろ」と感情的に叫ぶ人々の裏で淡々とイエス様を死へと追いやる祭司長や律法学者たちの姿が記されています。             
ブドウ園と農夫のたとえ話
 このブドウ園のたとえ話はイザヤ書5章1~7節の「ブドウ畑の歌」がモチーフとなっており、このたとえ話を聞いていた人々も、イザヤ書が元にあることに気付いていたと思います。ブドウ園を所有する人がいました。長い旅をする間、その人はブドウ園を農夫たちに貸しました。農夫たちは、良いブドウの実がなるよう一生懸命働きました。やがて立派なブドウができました。でも、自分たちが手入れし、働いて実らせたブドウをブドウ園の主人に渡さなくてはなりません。農夫たちは、全部自分たちのものにしたいなと思いました。そこでブドウを受け取るために主人から使用人たちが送られてくると、袋叩きにして追い返しました。このようなことが三度繰り返されました。とうとうブドウ園の主人は、自分の息子なら大切にしてくれるだろうと思って、愛する息子を送り出しました。ところが農夫たちはこの息子を見て、「この跡取りを殺してしまおう。そうすれば、このブドウ園は自分たちのものになる」と話し合い、息子を殺してしまったのです。
③ ブドウ園の農夫たちの罪
 このお話に出てきた「ブドウ園」とは“イスラエル”のこと。「主人」は“神様”のこと。「農夫たち」は“イスラエルの人”のこと。「遣わされる僕」は“神様の言葉を語った預言者たち”。そして、「息子」とは“イエス様”を指しています。神様が大切なイエス様を送って下さったのに、自分たちの好き勝手にしたいと思って主人の息子を殺してしまった農夫たちのように、イスラエルの人たちは「十字架につけろ」と叫んで、神様のかけがえのない大切な独り子であるイエス様を十字架につけて殺してしまいました。私たちが住んでいるこの世界も、神様が愛をもって造られた美しいブドウ園です。このブドウ園の話もイエス様の十字架の出来事も、多くの人々の思惑が絡んだ人の罪の姿を示しています。私たちは、この世が神様なんかいない所、自分勝手に暮らしていける所のように考えていないでしょうか。自分を一番にしたい気持ち、自分だけが楽しければよいという思いが人の罪の姿なのです。それでもなお、イエス様は罪にまみれた私たちを救うために十字架へと向かわれました。イエス様を十字架に追いやった人々と同じ気持ちが、私たちにもあります。そんな自分の心を見つめながら、ご一緒にレントの時を歩んで参りましょう!

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日本キリスト教団  茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠、伝道師 細井 宏一
 更新 : 2023. 3. 25  by km. mn

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