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復活前第3主日(受難節第4主日)礼拝
説教「救いの完成にむけた旅立ち」
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2023年3月19日
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聖書 ルカによる福音書 第9章28~36節
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「救いの完成にむけた旅立ち」 要約
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① 「主の変容」と呼ばれる不思議な出来事 |
イエス様は祈るためにペトロとヨハネ、ヤコブの三人を連れて山に登られました。実は、山を登っていた時、弟子たちの心は不安でいっぱいでした。 少し前にイエス様は「私は多くの苦しみを受けて殺される」と語っておられたからです。大好きなイエス様は、栄光に輝くイスラエルの王になるのではなく、十字架にかかって殺されるというのです。イエス様からその話を聞いて、八日がたちました。しかし時間がたっても、弟子たちは不安でいっぱいでした。これからイエス様が、どのような道を歩まれるのかが理解できなかったからです。しかし、この山の上で彼らは素晴らしい光景を目の当たりにしました。神様の栄光に触れたのです。皆で祈っていると、突然イエス様が光輝き、昔イスラエルの人たちをエジプトの奴隷生活から導き出したモーセと、誰もが知っている大預言者エリヤが現れて、イエス様と共に話し始めたのです。ペトロは。この素晴らしい光景を見て訳が分からなくなり、「先生、ここに仮小屋を三つ建てましょう」と叫びました。 |
② 神様の救いのご計画 |
素晴らしい光景を見たペトロは、このまま山上にとどまっていたい一心でした。仮小屋を三つ(一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのため)に建てたいと願ったペトロは、十字架にかかるためエルサレムに行くのでなく、この素晴らしい場所にずっといたいと思ったのです。すると、天から声がしました。「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」。神様の声でした。次の瞬間には、モーセとエリヤはいなくなり、イエス様だけになっていました。三人が話していたのは、イエス様がエルサレムで遂げようとしておられる最期のことだったと聖書は語っています。ルカによる福音書は、この出来事を「最期(エクソドス)」という言葉を通して、出エジプトの出来事と重ね合わせて語っています。モーセは、結局、約束の地に入ることなく命を終えましたが、イエス様は十字架による贖いを通して、私たちを天へと招き入れて下さるのです。そして「最期」とは、十字架だけではなく、復活へとつながる神様の救いのご計画なのです。 |
③ 救いの完成にむけた旅立ち |
イエス様は山を下ります。ここから、主の十字架へと続く「エルサレムへの旅」が始まります。主の変容の出来事は、これまで病を癒やし、悪霊を追い出していたイエス様が、神の領域にある方であると示された事、そしてなお、その歩みが十字架の死に向かうものであると示された出来事でした。イエス様は山上で礼拝されることではなく、私たちの罪を背負って十字架にかかり、死をもって死を滅ぼし、復活の神秘を通して、神の愛と和解を示すことでした。ルカはこの事を、最期(エクソドス)という言葉で語りましたが、当時「エクソドス」という言葉は、演劇で用いられる一般的な言葉で、劇の終章(最後の章)を示す言葉でした。このことも併せて読んでいくと、イエス様の「エルサレムへの旅」はイエス様が十字架にかかって終わるのではなく、イエス様の復活と昇天、聖霊降臨、弟子たちの働きにつながっていくものです。そして、弟子たちの働きを通して完成されるものであるとも考えられます。そのように考えると、私たちの日ごろの宣教の業も、主が山上で語られていた「最期」につながるものであると言えるでしょう。栄光に輝くイエス様と共に、今ここに座しておられる私たちも、神様の恵みを語り伝えていきましょう!
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