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降誕節第5主日礼拝 説教「イエス様が一緒」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2023年1月22日
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テサロニケの信徒への手紙(一) 第4章13~14節
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「イエス様が一緒」 要約
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① 既に眠りについた人たち |
優ちゃんのおじいちゃんのお葬式の日、優ちゃんはパパに聞きました。「おじいちゃんは、これからどうなるの?」パパは答えました、「天国に行くのよ」。すると、パパの隣にいたおばあちゃんが言いました。「そうよ。おじい様は神様が待っている天国に行ったのよ。優ちゃんはイエス様を知っているでしょう?イエス様は私たちみんなが天国に行けるようにと十字架の上で死んでくださったのよ。だから死んでしまった人たちはみんな天国に行くことができるの」。優ちゃんは、死んだおじいちゃんは、イエス様のおかげで天国に行ったというお話を聞いて安心しましたが、天国でおじいちゃんはどうしているのだろうと思いました。考え始めると、気になって仕方がないので「おじいちゃんは天国で何をしているの?眠っているの?」と聞いてみました。おばあちゃんは言いました。「眠ってなんていないのよ。神様のそばで、毎日礼拝をしているのよ。きっと礼拝しながら優ちゃんのためにお祈りをしているに違いないわ」。優ちゃんは神様に感謝しました。 |
② 洗礼を受けるということ |
ある家で、お母さんが重たい病気にかかり、死を覚悟しなければならない暮らしが始まりました。そのお母さんが心配したのは、自分の命よりも、自分が生きている間に、幼い二人の子どもたちが洗礼を受ける姿を見届けないまま天の国に旅立ってしまうことでした。そこである日、子どもたちに「天国で会いたいから、洗礼を受けない?」と素直に聞いたら、二人とも迷わず「受ける!」と答えました。これがきっかけとなり、しばしの準備期間を経て、二人は心から喜んで洗礼を受けました。洗礼を受けるということは、いつもイエス様が一緒にいてくださることを信じることです。イエス様はいつも私たちと一緒にいてくださいます。楽しい時も嬉しい時も、悲しい時も辛い時も、誰かと一緒にいる時も一人でいる時も、そして、私たちが生きている間だけではなく、たとえ私たちが死んだとしても、イエス様はいつも一緒にいてくださいます。このことを信じて、私も同じようにイエス様と共に生きる決断をするのが洗礼を受けるということです。 |
③ イエス様が一緒 |
テサロニケの町にあった教会の人たちが落ち込んでいることをパウロは聞きました。テサロニケ教会で葬儀が続いたのかもしれません。親しかった人が亡くなった。一緒に礼拝を捧げていた仲間が死んでしまった。そのようなことが続くと、悲しみがつのります。教会の人たちは、みんな洗礼を受けていたのでしょう。そして、イエス様が一緒にいてくださることを信じていました。でも、一つの悲しみが癒える前にまた次の悲しみが重なってしまうと、だんだんと心も体も弱り果て、疲れ果ててしまいます。パウロはテサロニケ教会の人たちを慰め、励まそうと手紙を書きました。今朝の聖書の言葉です。パウロはここで、イエス様を信じる人には希望があることを伝えています。それは、イエス様がいつも一緒にいてくださるという希望です。その希望は生きている間だけのものではなく、たとえ私たちが死んだとしても途切れることのない希望です。パウロはこの希望を思い出すようにと手紙に書いています。教会でのお葬式には悲しみの中にも希望があります。イエス様が一緒にいてくださり、イエス様と一緒に復活させられることを信じるからです。皆さんも洗礼を受けて、一緒にこの希望をもって生きるようになることを願っています。
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