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降誕前第8主日礼拝 説教「一緒に食事をしよう」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2022年10月30日
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ヨハネの黙示録 第3章20節~22節
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「一緒に食事をしよう」 要約
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①「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている」20節 |
ヨハネの黙示録には、初期の主要な教会として知られる、七つの教会にあてた手紙が書かれています。これらの教会にはそれぞれに課題があったようで、その内容は多様です。にもかかわらず、七つの教会にあてた手紙の締めくくりには、「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい」(22)と、すべて同じ言葉が記されています。課題はさまざまであっても、すべての教会は、一つの「霊」が語る声を「聞く」共同体として結ばれているのです。七つの教会にはそれぞれ、「聞く」べきことが示されていますが、与えられた箇所では「戸口に立って、(戸を)たたいている」(20)イエス様の声に耳を傾けるようにと告げられています。「悔い改めよ(視点を変えよ)」(19)という言葉に続いて「見よ」(20)と語りかけられていますから、「聞く」ためには目を上げて、これまでとは異なる視点に目を注いでいくことが大切だということでしょう。イエス様の呼びかけに気づいて戸を開ける時、イエス様は中に入ってこられ、一緒に食事をして下さいます。 |
② 「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい」22節 |
この手紙が書かれた時代、教会は厳しい迫害にさらされていました。隠れるように信仰を守りながら、敗北感を味わい、戸に鍵をかけて苦難を耐え忍んでいた時代です。そのような人々にとって、この知らせはどれほど大きな慰めと希望になったでしょうか。苦しい時、そっと目を上げ、視点を変えてみることの大切さが語られています。耳を澄ませ、心の戸を開いていく時、そこにイエス様はおられます。そして、それまでの苦難の日々を覆すような、喜びの食事を共にしてくださるのです。この食事は「終末」と呼ばれる将来的な希望として語られていますが、この出来事を先取りしているのが、実は礼拝の中で行われる聖餐式です。教会は「おとなたちの世界」ではなく、「みんなの世界」です。イエス様の招きはいつも、みんなの心の戸口に、今日もイエス様がおられます。そして呼びかけておられるのです。「一緒に食事をしよう」と。イエス様は目に見えません。戸をたたく音も耳には聞こえません。でも、イエス様はあなたと一緒にいたいのです。
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③ 一緒に食事をしよう |
私たちは、イエス様に呼びかけられていても、戸をたたかれていても、気づけずにいることがあります。目に見えないイエス様を、「あなたはどこに?」と思って、こちらからイエス様を捜しに行くこともあるでしょう。でも、いつもイエス様を見つけられるわけではありません。そんな時にはやはり、こう思うのです。「イエス様、あなたはどこに?」と。今朝の聖書には、そんな私たちの問いに応えて下さるイエス様の姿が伝えられています。なんとイエス様は、私たちがイエス様を捜しに行く前から、もうずっと、戸口の前に立って、私たちの心の戸をたたき、呼びかけてくれていると言うのです。そして、その呼びかけに私たちが気づいて戸を開ける時、イエス様は中に入って来て、「一緒に食事をしよう」と、私たちに呼びかけてくださるのです。イエス様は、たくさんの人々と食事をすることを大切にされました。食事を通して語り合い、人々の心に触れながら、イエス様は、神様がいつも近くにいて守って下さることを人々に伝えたのです。教会は、聖餐式や愛餐会など、みんなで食事をする機会を大切にしています。食事の時、そこにイエス様が一緒にいて下さることを思い出しましょう。耳を澄ませ、心の目を開いて、気づきましょう!
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