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降誕前第9主日礼拝 説教「みんなで示そうイエスさま」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2022年10月23日
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コリントの信徒への手紙(一)第12章27節~28節
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「みんなで示そうイエスさま」 要約
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①「神は、教会の中にいろいろな人をおたてになりました」28節 |
今朝も「体」をたとえに用いる言葉が続きます。教会は「キリストの体」であり、「一人一人はその部分」であることが既に語られてきましたが、今日の個所では今一度、そのことがより具体的な働きを通して語られます。ここには、初期の教会に既に存在していた様々な働きが、一つの「体」として有機的に結びついていることが示されています。初期の教会では、自由で自発的な形での奉仕が行われていたのだろうと考えられています。「霊的な賜物」に応じて一人一人が自分にできることを行っていったのです。それが、一つの教会に、次々と多様な働きを生み出していくための原動力になっていました。教会に集う人たちが、各自の自由で自発的な働きを互いに尊重し合えるのは、その働きが、神様によって立てられたものであることを信じ合うからです。「神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました」(28節)とあるように、各自の賜物から生み出される多様な働きを、神様が立てられた働きだと信じ、互いに尊重し合うことが大切なのです。 |
② 私たち一人一人が「キリストの体」であると言われる意味と目的 |
『スイミー』のお話をご存じでしょうか? レオ・レオニという人が描いた絵本『スイミー』というのは、とても小さなお魚の名前です。スイミーは、真っ黒な体をした小魚でした。仲間たちは赤いのに、スイミーだけ黒かったのです。みんな仲良しでした。しかしある時、お腹を空かせた大きなマグロがやってきて、スイミー以外の仲間たちをすべて飲み込んでしまうのです。スイミーは一人寂しく、広い海をさまようことになります。そんなある時、岩陰にスイミーの仲間とそっくりの赤い小魚たちを見つけました。スイミーは声をかけましたが、赤い小魚たちは、大きな魚に食べられることを恐れて出てきません。そこでスイミーは、良いアイデアを考えました。みんなで心を一つにして泳いだら、海でいちばん大きな魚のふりをすることができるのではないかと考えたのです。スイミーは、黒い体を生かして、目の部分になりました。こうして、スイミーとたくさんの赤い小魚たちは、広い海を力強く、一匹の大きな魚のように泳ぎ出したのです。
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③ みんなで示そうイエスさま |
「あなたがたはキリストの体、一人一人はその部分」とあります。『スイミー』のお話と同じように、私たち一人一人は小さくても、お互いに心を合わせて生きることで、イエス様の「体」となって生きることができるのです。イエス様の「体」となって生きるとは、目に見えないイエス様が、今も生きてここにおられ、働いているのだということを、教会に集まるみんなで一緒に伝えていくということです。イエス様は、一人で、たくさんのことをなさいました。神様の言葉を伝え、奇跡を行い、貧しい人を助け、人々に神様の愛を伝えました。大切なことを伝えても、人々に理解されないこともありました。その結果、憎まれ、十字架に架けられてしまうのです。でもイエス様は、復活なさいました。そして今も、生きて働いておられます。そのことを伝えるのが、教会の大切な働きです。私たちは、一人でイエス様になることはできません。でも、みんなで力と心を合わせれば、スイミーたちが大きな魚のようになって泳げたように、私たちもイエス様の「体」となって歩むことができるのです。小さな私たちですが、自分たちにできることを分かち合い、そしてまた助け合いながら、イエス様の大きな働きを担う一人一人になりたいと思います。
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