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神学校日・伝道献身者奨励日礼拝 説教、チーム「キリストの体」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2022年10月9日
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コリントの信徒への手紙(一)第12章12節~13節
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チーム「キリストの体」 要約
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① わたしたちの体 |
わたしたちはそれぞれ自分自身の体において存在し、生き、動き、働いています。誰も体なしには存在することも、生きることも、動くことも、働くこともできません。わたしの体は、体にあってわたしが生き、動き、存在するわたし自身であると考えられます。どんなに弱い体であっても、プロポーションやスタイルが意に沿わなくても、また更に様々な重荷が体を抑圧していても、わたしはわたしの体において存在し、生き、働くほかありません。そしてわたしたちの体には、手や足、目や口などいろいろな部分があり、いろいろな役割があります。その各部分は、互いに争ったり、競ったりはしません。見た目も役割も違うけれども、どの部分も重要で、互いに一つの「体」を形作るかけがえのない部分です。同じように、教会は、神様が造られた、かけがえのない人々の集まりです。教会には奏楽をする人、受付をする人、お花を生ける人、掃除をする人、祈る人、教会に来て笑顔を見せてくれる人たち…。みんな、大切な役割を担っています。 |
② 「一つのからだ」を作ろう! |
サッカーや野球、ラグビー等のチームスポーツは、みんなで力を合わせて目標を目指していくスポーツです。選手たちはそれぞれ、異なる特徴を持っています。それぞれ特異なプレーは違いますが、どの選手もチームの一員として、大切な役割を果たしています。実は私たちも、一つのチームの一員です。そのチームの名前は「キリストの体」。教会のことです。「体」にも、手や足、目や口などいろいろな部分があり、いろいろな役割があります。その各部分には、互いに争ったり、競ったりはしません。見た目も役割も違うけれども、どの部分も重要で、互いに一つの「体」を形作るかけがえのない部分。聖書に「5タラントンもらった人、2タラントンもらった人、1タラントンもらった人」のたとえ話がありますが、そこに優劣はありません。一人ひとり、神様から与えられた賜物を持っていて、その賜物を生かしながら、できること、できないことは違うけど、みんな同じ目標「神様のことを伝えていく」という目標を目指すかけがえない一員です。
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③ チーム「キリストの体」 |
想像してみてください。足が悩んでいます。「ぼくはどうして手のように物をつかむことがうまくないのだろう。ぼくなんていない方がよいのじゃないかな」。もしそんなふうに足が悩んでいたら、言ってあげたくなりますよね。「足さん、あなたと手さんとは役割が違うのですよ。あなたには、あなたのできることがあるでしょ。それで十分です」ってね。体には多くの部分があります。それぞれ出来ることと出来ないこととがあります。それと同じように、私たちにも出来ることと出来ないことがあります。他の人が出来るのに、自分には出来ないことがあると、「ぼくはダメだなあ」、「私って、本当にダメね」って悩んだり、自分を見限ったりするかもしれません。でも、自分が自分を見限ったりしたら、誰が見てもおかしいと思いますし、あなたを助けようにも、どう助けたらよいのか分かりません。私たちはみんな役割が違うのです。同じ人は一人もいません。双子だって似ていても、全く同じではないのです。“みんな違って、みんないい”。誰にも出来ることがあります。そのできることをもって、イエス様のお役に立ちたいと思うことが大事なのです。教会に生きる人たちは皆、神様のことを伝えていくために招かれた一つのチームなのです。
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