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聖霊降臨節第12主日礼拝 説教「一つのからだ」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2022年8月21日
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エフェソの信徒への手紙 第4章1節~6節
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「一つのからだ」 要約
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① わたしたちのからだ |
わたしたちはそれぞれ自分自身のからだにおいて存在し、生き、働いています。誰もからだなしには存在することも、生きることも、働くことも出来ません。だから、このわたしのからだこそわたし自身であり、わたしはからだである、と言うことが出来ます。どんなに弱いからだであっても、プロポーションやスタイルが意に沿わなくても、また更に様々な重荷がからだを抑圧していても、わたしはわたしのからだにおいて存在し、生き、働くほかないのです。また、わたしたちのからだは、とても沢山の部分からできています。顔はからだの一部ですし、顔の中にも目や口や鼻といった沢山の部分があります。骨やおなかのように、外からは見えない部分もあります。どんな部分にも、それぞれの働きがあります。それがみんな集まって、一つのからだをつくっています。足よりも目が大事だということはなく、背骨と爪ではどちらが偉いかと考える事も無意味です。どれも必要で無駄なものは、何もないのです。教会も、同じ一つの「からだ」です。 |
② 神様はこの世界に教会を立てられた |
神様は、わたしたちをとても大切にしてくださっておられます。そこで、この世界に教会を立てて、わたしたちに「教会においで」と誘ってくださいました。だから、教会に集まっている皆さんは神様が大切にしてくださっている仲間です。「わたし」を神様が大切にしてくださっておられるように、家族や友だちや、皆さんのことも神様は大切にされています。神様が皆さんを大切にされたように、わたしたちも皆さんを大切にすることが、神様の喜ばれる教会の姿です。神様は世界中の人たちが、神様に大切にされていることに気づくようにと、大切なひとり子イエス様を、この世界にくださいました。そして、イエス様を信じる人たちが、神様の子どもとして、仲良しになるようにと望んでおられます。神様を信じるすべての人たちが集められ、一つの教会をつくっています。それはとても大きなからだです。教会の頭は、主イエス、キリストです。わたしたちが属する教会も場所や時間を超えて、教会はキリストのからだ、「一つのからだ」なのです。 |
③ 一つのからだ |
教会は、からだに例えられます。教会は生きて、働いています。様々な部分、働きが一つに合わさり、全体として同じいのちに生かされています。わたしたちはそこに結ばれています。それを導き、形づくるのが聖霊です。わたしたちはみな同じ一つの希望を望み見、それによって動かされています。そうするように神様に招かれているからです。わたしたちが依り頼むのは、同じお一人の主です。この主にあって、わたしたちは固い交わりを結びます。その主を仰ぐ信仰も、同じ一つのものです。主にわたしたちを結びつける洗礼も一つです。世界のどこにいようとも、どの時代に生まれようと、同じ、一つの洗礼です。そして唯一の神様が、あらゆるものの上におられ、わたしたちすべてを創り、愛し、支配しておられます。そこからこぼれ落ちるものは何もありません。このお方は、わたしたちの内にいてくださり、わたしたちと人格的な交わりを持ってくださいます。わたしたちは教会として一つになり、同じお一人の主の御前に集まり、ともに礼拝します。そして互いに愛し合い、御心にかなうような奉仕をします。そこでは、わたしたち一人一人は生き生きと豊かに生きます。それが教会に生きる生き方、神様に喜ばれる生き方です。
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