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聖霊降臨節第8主日礼拝 説教「愛し、選び、定められている」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2022年7月24日
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エフェソの信徒への手紙 第1章3節~6節
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「愛し、選び、定められている」 要約
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① エフェソの信徒への手紙 |
「神は、ほめたたえられますように」という挨拶の言葉で始まり、「神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです」という言葉で終わります。その間(3~5節)では私たちが神様をほめたたえる理由が挙げられています。それは神様が私たちを「天のあらゆる霊的な祝福」(3節)で満たして下さったからです。この世界が造られる前から、私たちが生まれる前から、神様は私たちを愛しておられました(4節)。私たちが存在する前から私たちのことを愛し、キリストにおいて私たちを聖なる者として、お選びになりました。「聖なる者、汚れのない者」(4節)とは、「罪を犯さない清く正しい人」ということではありません。主の十字架によって、罪が清められ、聖なる者とされたという事です。また、私たちが神様をほめたたえるのは、神様が私たちに「輝かしい恵み」(6節)を下さったからです。私たちが、神様をほめたたえるのは、イエス様によって、御心のままに、天地創造の前から神の子に定められたからです。 |
② 神様の子どもは、どのような人が選ばれるのか |
聖書の創世記には、神様がこの世界を造られた様子が記されています。はじめに神様は、この世界を造られました。そして最後に、私たち人間を造られました。でもさっき読んだ御言葉には、この世界が造られる前から神様は私たちを愛しておられ、私たちを神様の子どもに選んで下さいましたとあります。とても不思議なことですね。私たちが生まれる前から、神様は、私たちのことを知っておられ、私たちのことを愛しておられました。私たちが生まれる前から、父なる神様は私たちを神様の子どもに選んで下さっていました。運動会のリレーの選手は、走るのが速い人が選ばれます。それでは、神様の子どもは、どのような人が選ばれるのでしょうか。誰よりも立派な人が選ばれるのでしょうか。特別に心の優しい人や勉強ができる人でしょうか。そうではありません。特別な人ではなく、みんなが選ばれるのです。本当は選ばれるはずがなかった私たちですが、イエス様が十字架にかかって下さったことによって誰でも選ばれるようになったのです。 |
③ 愛し、選び、定められている |
神様の子どもに選ばれた人たちは、これまでも沢山いましたし、今も世界中に沢山います。これからも沢山生まれてくるのです。それは、神様にしか見ることができません。神様の子どもは、天の神様を父とする一つの大きな家族の一員となります。ですから教会は「神様の家族」とも呼ばれます。イエス様はもちろん、ペトロやパウロも私たちの家族です。教会は天地創造の前から父なる神様に愛され、選ばれ、神様の子どもに定められている人たちの集まりです。私たち人間は、神様を喜びたたえるために造られましたが、人間は、自分の力で何でもできると思い込み、世界のあらゆるものを大切にしなくなりました。神様の心から離れていきました。人間が神様を忘れても、神様は人間を忘れません。それどころか、とても大切に思って下さいます。神様が私たちを大切にして下さることを「恵み」と言います。イエス様によって、私たちは神様の「恵み」に満たされているのです。神様の恵みに感謝ですね。私たち人間は、神様をたたえるために造られました。神様に愛され、選ばれ、神様の子どもに定められている私たちは、その恵みを与えて下さった父なる神様を喜び、たたえずにはいられません。常に喜び、感謝してまいりましょう!
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