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聖霊降臨節第3主日礼拝 説教「ペトロとユダ」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2022年6月19日
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マタイによる福音書 第26章75節~27章5節
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「ペトロとユダ」 要約
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① イエスとペトロ |
1954年版「讃美歌」365番の替え歌によって、イエスの12弟子の名前を全部言える方もいますが、12弟子の名前を全部言えない人でも、シモン・ペトロとイスカリオテのユダをご存じの方は多いようです。シモン・ペトロは、ガリラヤ湖畔のペトサイダの漁師。イエスの招きに応えて、すぐに網を捨ててイエスに従い、イエスが12人の弟子を選ばれると、弟子たちの先頭を歩み、やがて後にキリスト教会が生まれると、イエスの代表的・中心的指導者として華々しい活躍をした人物として有名です。ペトロは兄弟アンデレと二人組で(4:18)、カファルナウムでは、しゅうとめと共に(8:14)、イエスが高い山へ連れて行った時には、ヤコブとヨハネと一緒に(17;1)、「シモン・ペトロともう一人の(大祭司の知り合いの)弟子」が大祭司の屋敷の中庭へ入ったとあります(ヨハネ18:15以下)。複数の登場です。単独で「舟から降りて水の上を歩き」イエスに近づこうとして(14:22以下)「主よ助けて下さい」。主が彼との対話を絶つ事はないのです。 |
② イスカリオテのユダ |
「ユダ」という名は聖書全体では16人。イエスの12弟子の中にも2人いて、「イスカリオテのユダ」「ガリラヤのユダ」と区別されています。新約には「ユダの手紙」という文書もあります。が、「ユダ」と言えば直ぐ「イスカリオテのユダ」を連想し、主を裏切った者と私たちは考えます。彼は確かに自分の先生であったイエスを裏切り、銀貨30枚で敵の手にイエスを渡す手引きをしました。その為イエスは十字架に架けられたのです。が、彼は極悪非道な人物で、生まれつき貪欲で、不正直で、盗人や悪魔のような性格を持っていたのでしょうか。彼がどういう仕方でイエスの弟子になったのか福音書は何も語っていません。が、彼も他の弟子と同じように家族や財産を捨てて主に従った人です。イスカリオテとはケリオテの人という意味。11人が北方ガリラヤ出身者だった中に、ただ一人、南方ユダヤのケリオテから弟子集団にいて、よそ者として常に孤独感に悩んでいたのでしょう。それでも彼は「金入れを預かっていた」(ヨハネ13:39)とあります。 |
③ ペトロとユダ |
ペトロとユダは、イエスからの召命、任命、派遣に与り、約3年間、寝食を共にした同士です。ペトロはイエスに「たとい、皆の者がつまずいても、私はつまずきません」「私は獄にでも、死に至る迄も、あなたと一緒に行く覚悟です」と大言壮語した通り、他の弟子たちが逃げた後も大祭司の庭に留まっていました。その時、三度の否認をし、主の信頼を裏切ったのです。ペトロとユダは裏切りについても同じです。裏切りの罪を犯した後、後悔した点でも同じです。違うのは、ユダは他の11人と違って一人、南方ユダヤ人であった事。無学な、ただの人だったペトロに対し、会計の要職を委ねられる程の能力ある人だった事。決定的な違いは、自らの罪に気づいた時、主に赦しを乞い、主に委ねたのか否かにあります。その時ユダは祭司・長老に相談しました。「我々の知ったことか。自分のことは自分で始末するがよい」と言われ、自死します。主は、たとえ裏切られても否認されても、決して見捨てない方である事を知っていたペトロは、主に赦しを乞い、主に委ね、再出発したのでした。ユダの悲劇は、主の愛に凡てを委ね切れなかったゆえの事でした。主イエスは私たち一人一人にも、愛の眼差しを贈っておられます。主の愛に委ねて生きましょう!
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