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復活節第6主日礼拝 説教「十字架のめぐみ」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2022年5月22日
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ガラテヤの信徒への手紙 第3章14節
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「十字架のめぐみ」 要約
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① ガラテヤの信徒への手紙 |
ガラテヤ地方は、今のトルコのアンカラを中心とする広い地方で、教会はパウロの伝道旅行によって生まれました。パウロがこの手紙を書き送ったのは紀元51年頃の事です。どの手紙もそうですが、教会としての問題が起こり、そのためには現地へ行きたくても行けない当時の事情があり、やむを得ず書簡に頼らざるをえなかったのです。彼が去ってから、パウロと信仰理解において違った立場の人たちが来て、パウロの宣べた福音は間違っているということを言い、ガラテヤの人たちをパウロの宣べ伝えた信仰から離れさせていたのです。この手紙は叱責の手紙です。「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち」(3:1)、使徒パウロのため息が聞こえてくるようです。何が彼を怒らせたのか。キリスト者は律法に死に信仰によって生きます。しかしガラテヤの信徒の中には律法に逆戻りする人がいた。そこでパウロは、アブラハムも律法を行なったからではなく神の言葉を信じた故に義とされたではないかと、神がアブラハムに与えられた祝福を教えます。 |
② アブラハムに与えられた祝福 |
神様はアブラハムに「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。」(創世記12:1)と命じ、アブラハムは「これに服従し、行き先も知らずに出発した」(ヘブライ11:8)。そして神様は「祝福の源となるように。地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る」(創世記12:2-3)と約束されました。アブラハムはこの約束を忘れることはありませんでした。それからずっと後になって、イエス様がお生まれになりました。イエス様は「すべての人を祝福しよう」という約束を人々に伝えました。私たちそれを忘れています。祝福が豊かに与えられているのは、他の人と共に生きるためです。人間は、罪を重ねたために、神の祝福を受け継ぐことができなくなっています。富に頼り、自分一人良ければいいという生き方をし、財産や名誉によって自分は幸せだと思っている。そういうものを断ち切って神の前に立ち、豊かに受けた祝福を分かち合う生き方へ踏み出しなさい。今の幸せにしがみつく生き方を断ち切るようにという呼びかけです。 |
③ 十字架のめぐみ |
これは神様と私たちをつなぐパイプだとします。でものぞいてみると、何かが詰まっていて、向こうが見えません。聞こえません。息を吹きつけても、振っても取れません。何かが神様と私たちの間を詰まらせている、それを罪と言います。警察に捕まるような悪いことも罪ですが、神様なんていないという思いや、自分だけ良ければいいやという思いも罪です。でも自分では、そう思ってしまうことをやめられません。そのパイプは自己中心、傲慢といった罪で詰まっています。善行や努力という水を流しても取れません。詰まりを取るには、外から助けてもらわなければムリなのです。それが、イエス様の十字架です。私たちにはできないから、イエス様が十字架に架かって身代わりに死んで下さることが、この詰まりを取る方法でした。イエス様の十字架は私のためだった。聖霊が働いて下さり、それがわかり信じると、私たちの罪は赦されて神様と私とのパイプのとおりがよくなります。信じ、聖霊が内に住んで下さると、私たちは自分の罪とそれを上回る神様の愛がわかるようになります。そして、昔々神様がアブラハムに約束して下さった祝福を、私たちもいただけるのです。そればかりか、神様の祝福がまわりの人にも及ぶのです。
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