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イースター礼拝 説教「お 先 に」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2022年4月17日
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マルコによる福音書 第16章1節~8節
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「お 先 に」 要約
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① 残念なお知らせ |
今日は残念なお知らせと嬉しいお知らせがあります。まず残念なお知らせから。それは、人は皆、死ぬという事です。お父さん、お母さん、友達、あなたも、いつか絶対に死にます。どんなにお祈りしても、この事は変えられません。イエス様が十字架上で死なれた日、イエス様に従っていた女性たちには、その事がよく分かりました。どれだけ必死に叫んでも、祈っても、裁判で決まったことは変わりありませんでした。そしてイエス様は死にました。死の力を前に何もできなかったのです。イエス様を葬ったお墓の入口には、大きな石でふたがしてありました。自分たちの力ではとても動かせません。イエス様は死んでしまった。自分たちではどうにもできない。石はその事の印のようです。ところが、女性たちがお墓まで行ってみると、石はわきへ転がしてありました。絶対に動かない、動かせないと思っていた、と聖書は告げます。こわごわお墓の中に入てみると、そこには「白い長い衣を着た若者」(5)がいて、イエス様のからだはありません。 |
② 嬉しいお知らせ |
若者、即ち「主の天使」(マタイ28:2)は、お納めした場所を指して言います。「あの方は復活なさって、ここにはおられない」(6)。人は死んだらもう動きません。私たちと同じように、イエス様のお墓に入った女性たちもそう思っていました。だから人は死んでお墓に入ったらそれで終わりだと思っていました。でも、ここからが嬉しいお知らせ。神様が、その事実を石ごと動かしてしまわれました。「神にできないことは何一つない」(ルカ1:37)。あの重たい 重たい石が、どうやったって動かせない「死」という現実が、神様の力によって動かされたのです。神様はイエス様をよみがえらせて「あなたたちは死で終わりなんかじゃない。死がすべての行き止まりなのではない」という事を私たちに教えてくれました。そしてそのイエス様を信じて、その後について行く人をも「同じように」(Ⅰテサリニケ4:14)してくださる、そう約束してくださっています。女性たちは、空の墓を確認することで神様の驚くべき大いなる業を目の当たりにしたのでした。 |
③ お先に |
イエス様がかねてから言われていた「私は人々の手に引き渡され、殺されるが、三日の後に復活する」ということは本当だった。それまで女性たちは、死が絶対だと思っていた。「死んだらどうしようもない。復活などあり得ない」そう思っていた。けれども、その彼女たちの絶対の道理が、不変の法則が、揺るがぬ現実があっけなくひっくり返されてしまう。どうにも説明がつかない。この時、彼女たちは空の墓の中で見たのです。死をも超える神の業が働いたことを、死にも打ち勝つ神の力を。だから恐れた。死への恐れよりも、神への恐れが上回った瞬間です。どう考えたって、人間の言葉で説明しようがないことが起きた。だからマルコは「墓が空だった」とその事実だけを告げて、早々にこの福音書を切り上げるのです。「さあ、行け、ガリラヤへ」との言葉を残して。道案内をするように、イエス様は私たちの先を進んで行かれました。死の先があることをご自分の姿をもって示してくださいました。「あなたがたより先に」。ツアーガイドのように復活の旗を掲げて、私たちの前をイエス様が歩み、天へと導かれるのです。だから、大丈夫!迷子にならないようにイエス様の後についていけるように案内する天使までいるから大丈夫です。
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