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受難節第4主日礼拝 説教「神様からのメッセージ」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2022年3月27日
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マルコによる福音書 第9章2節~10節
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「神様からのメッセージ」 要約
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① イエスの「山上の変貌」の出来事 |
イエス様が語られた受難の予告(8:31)からの続きで、六日前に教え始められたことがまだ続いています。イエス様が弟子のペトロ、ヤコブ、ヨハネと一緒に高い山に登っておられます。すると、上ったところで不思議なことが起こります。イエス様の姿が変わったのです。誰も見たことがないほどに服が真っ白に輝いたのです。それだけではありません。イスラエルの人たちが、とても立派な人だと尊敬しているエリヤとモーセが現れイエス様と語り合います。ペトロはこの様子に気が動転してこう言います。「先生、私たちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ立てましょう」。ペトロはもしかするとイエス様の、十字架についての言葉も忘れていたかもしれません。そして雲の中から「これはわたしの愛する子。これに聞け」との神様の声が聞こえます。イエス様の受難の予告と、聞き従うようにとの言葉がつながります。下山の際イエス様は山上の出来事を話してはならないと命じましたが、弟子たちはこの言葉を心に留めていました。 |
② 「これはわたしの愛する子。これに聞け」(7節) |
聖書は真実を伝えています。その内容が事実かどうかだけを考えると理解できない話が沢山あります。聖書は私たちに、本当に必要な真実を伝えます。事実に心を奪われないことです。ある先生が、「500円、100円、10円。もらって嬉しいのはどれ?」と聞きました。「500円」とクラス中が競って答える中に、太郎君だけが「僕は10円が一番嬉しい」と答えました。先生が理由を聞くと「10円を公衆電話に入れて電話をかけると、お母さんとお父さんの声を聞くことができ、辛い時も淋しい時も、受話器を通して聞こえるお父さんとお母さんの声が僕を支えてくれる」と。(昔、公衆電話はピンク色でした。ピンク色の公衆電話では500円や100円は使えません。10円だけが使えたのです)。「事実」と「真実」、二つとも本当のことです。事実とは客観的な正しさ。一番お金の価値があるのは500円。これが事実です。しかし、太郎君には10円が一番うれしい価値あるものでした。これが真実です。「これはわたしの愛する子、これに聞け」真実の声です。 |
③ 神様からのメッセージ |
実は山に登られる六日前、イエス様は弟子たちにご自分のことをハッキリとお話されました。イエス様が言われる苦難と十字架と復活は、弟子たちにとって受け入れがたいことでした。期待していた救い主とは全く違うからです。そんなペトロたちに聞こえたのは、イエス様を「わたしの愛する子」と言われた神様の言葉でした。そして「イエスに聞いて従いなさい」と言われたことは、イエス様の不思議なお姿と一緒に、イエス様の言葉すべてが神様の願いであり、あなたがたのもとに送る救い主とはこれです、という神様からのメッセージだったのです。10節に、「彼らはこの言葉を心に留めて」とあります。これは、言葉をつかんで離さない、堅くそこに立つという意味です。私たちは、聖書のどの個所にも、神様のみこころを尋ね求める者ですが、わけてもこの個所は、人間の想像をはるかに超えてあらわされた神様のご意思です。もう一つ。それでもなお無理解の中にいるペトロたちに、イエス様は、彼らと一緒におられました。昔も今も変わらず永遠に神様は、言葉と合わせて、共におられるイエス様に気づきなさい。これに聞きなさいと命じます。なぜなら、イエス様こそ、私たちのために神様がお与えになった救い主だからです。
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