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降誕節第5主日礼拝 説教「すなおに信じる」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2022年1月23日
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ヨハネによる福音書 第11章23節~27節
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「すなおに信じる」 要約
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① 愛する兄弟ラザロの死を悲しむマルタ |
今、私たちは生きています。これは当たり前のことではありません。私たちの命は、神様からの贈り物です。神様が、私たち一人ひとりに命を与えて下さっているから、私たちは今こうして生きているのです。そして、私たちがいつ死ぬかを決めるのも神様です。それが分かっていても、大切な家族や友だちが死んでしまい、目の前からいなくなってしまうと、とても悲しくなります。マルタも、兄弟のラザロが死んでしまい、とても悲しみました。マルタはイエス様と仲良しでしたから、ラザロが病気になった時、イエス様に「早く来て、ラザロを助けて下さい」とお願いしていました。イエス様ならラザロを助けられるって信じていたから。なのに、ラザロが病気だという知らせを聞いても(3)、イエス様は二日間も同じ所にいて、ラザロのもとに行こうとしません(6)。そうしているうちに、ラザロは死んでしまったのです。その後で、イエス様がマルタの所にやって来ました。マルタは「もっと早く来て下さったら、弟は死ななかったのに」と怒りました。 |
② 死んでも生きる |
イエス様がすぐにラザロのところへ行かなかったのは「この病気は死で終わるものではない」(4)からです。イエス様は、ラザロの死をとおして神様の栄光をあらわし、ご自身も栄光を受けることを示そうとされたのです。ですから、ラザロの死を悲しむマルタに「あなたの兄弟は復活する」(23)と言われます。当時のユダヤ人には、終末に死者が復活することを信じる人たちが多くいたと考えられます。マルタもそのことについて知っていたのでしょう。それで「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」(24)と答えました。そんなマルタに、イエス様は「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。…このことを信じるか」(25~26)と言われます。わたしが復活であり命であるから、死者の復活は、私を信じる今、ここで起こるというのです。マルタは「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」(27)と答えました。マルタは、イエス様の言葉を信じました。 |
③ すなおに信じる |
愛する兄弟ラザロの死を悲しむマルタは、「あなたの兄弟は復活する」というイエス様の言葉に驚いたはずです。死んだ人が生き返るなんてありえないし、あるとしたら神様が死者を復活させられる終末の時だと思っていたからです。でも、「あなたが神にお願いになる事は何でも神は叶えてくださる」(22)とあるように、イエス様に対する信頼もありました。だから、「復活であり、命である私を信じるか」と聞かれた時に、「信じます」と答えたのです。この後を読み進めていくと、死んでしまった兄弟ラザロは、イエス様によって復活させられます(44)。が、マルタはそれを見る前に、「わたしは復活であり、命である」と言われるイエス様に「あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」と信仰告白したのです。この告白はイエス様ならラザロを復活させることができると信じている事の表れです。「メシア」とは、救世主(救い主)です。旧約聖書には、いつか必ずメシアが現れ、神様の救いが完成する時(終末)がくるという予言が記されています。イエス様は神様の子供であり、救い主です。イエス様を救い主と信じる人は、神様の子供となり、イエス様と一緒に生きるのです。私たちもすなおに信じましょう!
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