|
待降節(アドベント)第2主日礼拝 説教「神さまに立ち帰れ」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2021年12月5日
|
エレミヤ書 第36章1節~10節
|
|
「神さまに立ち帰れ」 要約
|
① 涙の預言者エレミヤ |
神様を信じる者が絶望以外に何もないと思わ れる極限の中で、どのようにして希望を持ち続けることができるかエレミヤから学びます。BC588年、バビロンの王ネブカドネツァルがユダの国に攻め込み、エルサレムは包囲され、陥落するのはもう時間の問題という危機状況の中で、エレミヤに彼の従兄弟ハナムエルの畑を買うようにお命じになり、彼は主の言葉に従い銀、17シュケルで従兄弟アナトトの畑を買い取るのです。エレミヤがここで一見無駄な浪費と思われることをしたのは、それが主によって定められた親類の義務と権利であったというのが第一の理由。
第二の理由は、いま自分がおかれている絶望的な状況を超えて、主なる神がその支配を現わして下さると信じていたためです。私たちは何をしてもうまくいかず、何をする意欲も失われ、もうどうでもよいという気分に襲われる時があります。そんな時「もう一度やり直してみなさい」と励ましてくれる者がいれば、ただそれだけで心なごみ希望を持つことができるのではないでしょうか。 |
② アーモンド = 見ているよ |
アーモンドの花を見たことがありますか。春、さくらによく似た花を咲かせます。神様はアナトト村に住むエレミヤに聞きました。「何が見える?」。「アーモンドの木が見えます」。現地の言葉であ^-モンドは『見ているよ』という言葉です。神様はエレミヤに「わたしはいつでもあなたを見ているよ。だから大丈夫!」と言ったのです。エレミヤが亡国の危機という極限状況の中でなお将来への希望を語り得たのは、いついかなる時も主なる神が傍らにいまし、世界の歴史を導き神の民の運命を支配されるという信仰からでした。私たちがどんなに人間的に不利益に見え、もはや望みがないと思われる極限状況の中でなお神様の御支配を認めるならば、そこに希望の光がさしこむのではないでしょうか。逆境においても順境においても、私たちの主イエス・キリストの神様が支配なさっておられるのです。正にヨブがいうように、主が与え主がとられるのです。神様ご自身が私たちを抜き、壊し、滅ぼし、倒し、また建て、植えて下さるのです。信じましょう! |
③ 神様に立ち帰れ |
神様はただお一人です。目に見えないけれど御言葉を通して語りかけて下さる方です。エレミヤの時代ユダの国のエルサレムの神殿の礼拝には他の国で拝まれている偶像が入り込んでいました。神様は愛する人間たちがただの偶像に頼っているのを見て大層悲しまれました。今のままではユダの国をなくしてしまうしかないと神様はエレミヤを通して人々に告げました。それを人々が聞き、苦しんで滅ぶと分かったら悪の道から神様のもとへ戻ってくるかもしれないと呼びかけて下さったのです。が人々はそれをうるさがりエレミヤに神殿に入ってはいけないと言いました。
そのためにエレミヤにある方法を教え、エレミヤはその通りにしました。バルクという弟子に神様の言葉をすべて巻物に書かせ、それを神殿で読ませたのです。悪の道から立ち帰るようにとの御言葉が響き渡りました。が、人々は神様に従わずユダは滅びました。それでも神様は人間を呼び返して下さいます。御子イエス様が人となった神様の御言葉としてお生まれになりました。
神様は決して私たちを見捨てません。お言葉を聞いて、悪の道から神様の道に立ち帰りましょう!
|
|