印刷用PDF |
世界聖餐日礼拝 説教「天からのパン」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2021年10月3日
|
出エジプト記 第19章4節~5節、19節~21節
|
|
「天からのパン」 要約
|
① 世界聖餐日 |
本日は、世界聖餐日です。日本基督教団の殆どの教会で、今日、聖餐式が行われるはずです。そのことによって、それぞれに分かれて信仰生活を送っているすべての教会が一人の主イエス・キリストの十字架の血をもって贖い取られた一つの教会であること、同じ天からのパンによって養われつつ神の国を目指して旅を続ける一つの教会であることを私たちが深く心に刻むためです。聖餐は「私たちすべてを主において一つにします」(式文)。十字架に赴かれる直前の主イエスは、その最後の長い祈りの中で、聖なる父に弟子たちがいつまでも守られているように祈り、それは御父と御子が一つであるように「彼らも一つとなるためです」(ヨハネ17:11)と祈られました。今日の分裂した世界の中に、一人の主の教会が全世界に存在しているということは本当に大きな恵みであり、慰めであり、また私たちの希望の源です。今朝は「天からのパン」について記してある旧約聖書と新約聖書のそれぞれから一か所、計二か所の記事に基づいて学びたいと思います。 |
② 荒れ野の40年の旅 |
神の民イスラエルがモーセに率いられてエジプトから解放されて約束の地に入るまでの荒れ野の40年は、想像を絶する過酷な旅でした。その苦しさにイスラエルはエジプトを出てすぐから、不平をのべ、つぶやき始め、この不平・つぶやきは旅が終わるまで止むことはありませんでした。彼らは奴隷状態から解放されて、約束の地を目指し、喜びと希望をもって勇み進むはずでしたのに、そこは水もない、パンもない、肉もなければ、野菜もない。あるのは石と岩だけ。人が旅をすることができるような、一日たりとも生きていけるような所ではなかったのです。イスラエルの民はモーセとアロンに「エジプトの国で死んだ方がましだった。あの時は肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに(これは明らかに誇張)・・・我々を飢え死にさせるつもりか」と不平を言い、激しく抗議し、責め立てました。が、モーセの訴えを聞かれた神は、イスラエルのために、天からの食べ物である「マンナ」を天から降らせて下さったのでした。 |
③ 天からのパン |
マンナはシナイ半島の中で見られます。荒れ野に生えている木、特にマンナ・タマリクスからカイガラムシが吸い取り吐き出した樹液が夜の冷気で堅くなり、朝、白く黄ばんだ小さい丸い形で地面に落ちてくるもので甘くて美味しいそうです。が、昼になると溶けてくるので、朝の内に集めねばなりません。イスラエルの民は毎日一人Ⅰオメルずつ集めました。Ⅰオメルは3、64ℓほぼ二升。かなり沢山のマンナを集めたことになります。イスラエルの民は不平を言いつつ日毎に与えられる天からのパンによって荒れ野の旅を続け、約束の地に着くことができたのでした。さて、ヨハネ福音書6章によれば、荒れ野においてイスラエルに与えられた「天からのパン」の故事を引き合いに出しながら、肉を取って地上を歩み、人の罪の贖いのために十字架につけられ、三日目に死人の中から蘇る神の御子こそ、真の「天からのパン」であると宣言しています。真の天からのパンは主イエス・キリストです。「天から降って来たパン」、「人の子の肉を食べる」、「わたしの血を飲む者は永遠の命を得る」の言葉は聖餐式のことです。私たちも、神から与えられる天からのパンである御言葉と主の晩餐によって養われつつ、御国への旅を続けて参りましょう!
|
|