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聖霊降臨節第12主日礼拝 説教「イエス様ってだれ?」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2021年8月8日
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マルコによる福音書 第8章31~35節
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「イエス様ってだれ?」 要約
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① あなたは、メシアです |
聖書は一体、何が書かれているのか、一言で言えば、「2000年前、十字架で殺されたイエスは何者だったのか」という事です。今朝の聖書箇所は、少し前の27節以下とのつながりの中で理解しなければなりません。イエス様はわざわざフィリポ・カイサリアという、誰も知り合いのいない離れた所に弟子たちを連れて行って、大切な話をされました。イエス様は先ず弟子たちに「人々はわたしのことを何者だと言っているか」と聞かれました。弟子たちが、人々がイエス様のことをどんなふうにうわさしているかを伝えると、次に、「では、あなたたちはわたしを何者だと言うのか」と改めておたずねになりました。ペトロが皆を代表して自信をもって「あなたは、メシアです」(29)と答えました。ところが、イエス様に「それを誰にも言ってはいけない」と口止めされます。なぜ?それは、弟子たちが勘違いをしていたからです。弟子たちが考えるメシアは、自分たちがこうしたい、ああしたいと思うことを、叶えてくれる人のことだったからです。 |
② 私たちがメシア(救い主)に期待すること |
私たちは「メシア」や「救い」という言葉を教会の中でよく聞きますが、改めて、「私たちはメシアにどんな救いを期待して教会に集まっているのだろう」と立ち止まって考えなければならないと思います。人は「メシア」とか「救い」と聞くと、自分に都合のいいものだけを求めてしまうからです。福音書ではこの後、私たちの罪を担い、人々から見捨てられ、私たちの代わりに死んでくださるイエス様のお姿が描かれていきます。華々しく栄光に満ちたメシアの姿はありません。イエス様は、人が望む繁栄を都合よく与えてくださるメシアではありませんでした。聖書が私たちに伝えている福音は、道を見失った羊を捜して羊飼いが迎えに来た(ルカ15:4-6)という喜びです。人々は救い主にいろいろな期待をします。他人の期待や自分の都合に左右されるのでなく、さまざまな人間の期待が渦巻く中にあっても、揺らぐことなく、神様を求めることが大切です。主イエス・キリストが、ご自分の命をかけて、私たちにくださった救いをそのまま喜びましょう。 |
③ イエス様ってだれ? |
マタイによる福音書を見ますと「さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに『あなたは、ユダヤ人の王ですか。』と尋ねた。イエスは彼に『その通りです。』と言われた」(27:11)と記してあります。イエス様は、ご自分がユダヤ人の王として、すなわち<民衆を救う者>として、<永遠の命を与える者>として、<人類のすべての罪咎をになう贖い主>として、<身代わりの主>として、万物の創造者・最高の愛なるお方、すなわち唯一の神様(天に座しておられる主イエス・キリストの父なる神)から遣わされて、この地上に、私たちの所に、やって来られた「神の御子」です。イエス様が私たちの所に来てくださったのは、神様のことを忘れてしまう私たちを、もう一度神様の元に連れ戻すためです。神様を知り、神様と一緒に生きること、これがメシアであるイエス様が私たちにくださった救いなのです。神様から離れてしまい生きる道を見失った私たちの所にイエス・キリストが迎えに来てくださいました。この方の十字架によって神へと通じる道が開かれ、私たちは天の故郷に帰って行くことができるようになったのです。神様と共に生きる喜びを取り戻してくださったメシアとしてイエス様を仰ぎ見ていきましょう!
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