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聖霊降臨節第11主日「平和聖日」礼拝 説教「命の里がえり」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2021年8月1日
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マタイによる福音書 第5章9節
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「命の里がえり」 要約
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① 平和ということ |
平和の「和」という字は、のぎへんに「口」と書きます。栗の穂が円くしなやかに垂れ下っている様を描いた造形文字です。人が貧しかった時、栗を口に入れて食べることにより心がなごんだ事から造られました。「和を結ぶ」という言葉も「合わせる」、「手を結ぶ」状態を言い、「和音」「調和」「中和」という言葉が生まれました。平和とは、穏やかなこと、和やかなこと、のどかで戦争がない状態の事と思われています。17世紀のオランダの哲学者スピノザは「平和とは、戦争がないことではない。平和とは積極的な力であり・・・善意と信頼と正義を求める心である」と申しました。「積極的な力」とは、聖書に即して言えば、「地の塩」として人に仕えていく力です。平和(ヘブライ語シャローム、ギリシャ語アイレーネ)は、単なる平和愛好ムードのことや仲良しクラブを言うのではありません。聖書では「平和」も「平安」も同じ言葉です。戦争があっても、混乱があっても、「神の秩序が安定していること」を「平和である」と教えているのです。 |
② 平和を実現するために |
広島平和記念館の陳列品に、原爆でぼろぼろになった学生服を人形に着せた展示物があります。肩も服も焼け焦げ引きちぎれ、「中学1年、某」「中学2年、某」とその服のぬしの名とその最期の状況が記されています。「…付近にて被爆、夕刻郊外の家にたどりつき、“母さん、明日は学校へ行けないから欠席届を出しておいて”と頼み、翌朝死亡12歳」。ぼろぼろの服をまとった少年が血みどろになった姿で、やっと我が家にたどりつき、母親の顔を見て安心し、その安堵感で「明日は学校へ行けないから欠席届を出しておいて」と頼んだ後、力尽きて床に臥したきり、翌朝、天に召されてしまいました。母親のどこにもぶつけようのない胸がつぶれる思い、半死半生の息子を一晩中、一睡もせず、どんな思いで過ごしたのでしょう。本来、母親ならば我が子が身に着けていた服を身近において、誰にも渡したくない思いであったでしょう。にもかかわらず、彼女は母という境地を越えて公共の場にそれをさらす事で「平和を実現するため」に行動したのです。 |
③ 命の里がえり |
松本卓夫先生は口語訳聖書の翻訳で新約を担当しました。戦争中、広島女学院の院長をしておられ原爆が投下された8月6日は勤労動員に出かける女学生数百人を激励して見送った後、院長室に入り、そこで夫人と共に被爆しました。二人で逃げる際、熱風を浴びた夫人が傍らを流れる猿候川で体を冷やしたいと川岸に降りて行きました。先生は土手にいたのですが、同じように川に入る何百人という火傷を負った被爆者に夫人がまきこまれ、姿が見えなくなってしまったので、夫人の名前を連呼しながら土手をかけ降りましたが助けることができず、とうとう川の流れの中に没してしまわれました。先生は後に、青山学院に移り、多くの牧者を輩出されました。晩年は静岡女学院に移り、信仰をもつ事は「命の里帰り」だと称して若者を次々に信仰に導きました。先生は、90歳を過ぎ、妻や学校の同僚らが天に召されても尚、自分が生かされているのは原爆の経験を通して「平和を語れ」という神様の思し召しだと確信して、命あるかぎり平和の証言者として働かれました。イエス様は、世の皆が「平和のために働く者となる事」を望んでおられます。
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