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日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所 週 報
聖霊降臨節第10主日礼拝
2021年7月25日 午前10時30分~
司 会 派遣神学生
奏 楽 奏楽奉仕者
前 奏 (黙 祷)
招 詞 司会者
頌 栄 21-85番 一 同
交 読 詩篇 76篇 一 同
聖 書 マルコによる福音書 第6章34節~44節
(新)p. 73
祈 祷 司会者
讃 美 歌 21-57番 一 同
使徒信条 21-93番 ( 4-A ) 一 同
讃 美 歌 21-504番 一 同
説 教 「分けるとふえる」 牧 師
祈 祷 牧 師
讃 美 歌 21-56番 一 同
献 金 ー困難にある人々への連帯を祈りつつー
感 謝 献金奉仕者
主 の 祈 21-93番 ( 5-A ) 一 同
讃 美 歌 21-92番 一 同
祝 祷 牧 師
後 奏 (黙 祷)
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説教要約 印刷用PDF
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聖霊降臨節第10主日礼拝
説教「分けるとふえる」要約
マルコによる福音書 第6章34節 ~44節
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① イエス様と群衆との出会い
イエス様と群衆との出会いは思いがけないものでした。イエス様ご一行が舟にのって向こう岸にわたるのを見て、群衆は先まわりして岸づたいに走り、イエス様の上陸を待ち受けていたのです。決して近い距離ではありません。ガリラヤ湖の東岸か西岸のどこかかによって異なりますが、バークレーは、その距離を16kmだと計算しています。どんなに早くても3時間はかかります。上陸しようとして、眼前に現われた群衆を見て、イエス様は胸を熱くされたでしょうか。「よく来た」、「それほどまで私を慕うのか」などと喜ばれたでしょうか。そうではありません。イエス様は群衆を憂いて「深くあわれまれた」。この「スプランクニゾマイ」は、「同情する、あわれむ」意味です。イエス様は何を「あわれまれた」のでしょうか。「飼う者のない羊のようなその有様」をあわれまれたのです。彼らは、ただ孤独で淋しい、慰められることを必要としている。信頼できる羊飼い(指導者)が不在である。そのようなみじめさに目をとめ、「あわれまれた」のでした。
② イエス様の「あわれみ」が「奇跡」を生み出した
イエス様のなさった奇跡のほとんどは、からだの癒やしです。病気であったり、悪霊に取りつかれたりしているのは、当人にとっては大問題です。しかし、健康な人には無関心な事柄です。が、空腹は違います。どんな人でもおなかはすきます。食べる物がなければ、最後は死にます。特にイエス様の周囲に集まった人々にとって飢えは身近な問題でした。イエス様はからだに問題を抱えた人だけではなく、飢えという誰にでも平等な苦しみにも心を動かされました。だから、この物語は普遍性を持ち、四つの福音書すべてに取り上げられているのです。また、この物語は分かち合う大切さも教えています。弟子たちにとって、目の前にある食べ物は五つのパンと二匹の魚だけでした。弟子たちも当然おなかをすかせています。この食べ物を群衆に分けたいとは思わなかったでしょう。が、わずかな食べ物であっても、イエス様が祝福し、共に分かち合うとき、大勢の人々を養うことができました。イエス様の「あわれみ」が「奇跡」を生み出したのです。
③ 分けるとふえる
今日の聖書のお話しでは、イエス様が五つのパンと二匹の魚を配って、集まった5千人の人たちがおなかいっぱい食べたって書いてあります。そんなの本当かなって、思うかもしれません。でも、ここで大切なことは、みんなが相手のことを思いやり、自分の持っているものを少しずつ分け合おうとした気持ちです。そうすれば、フードバンクの輪が全世界に広がっていくように、神様はそれを祝福して、大きくふくらませ、それを豊かに用いてくださいます。みんなの心も、体も、本当に満足できるようにしてくださいます。五つのパンと二匹の魚は足し算しても七つにしかなりません。ひとりで食べてしまえば、それでおしまいです。でも、ひとりじめせずに、みんなで分かち合うとき、神様が一緒にいてくださいます。5+2=7ではなくて、たくさんの人が満足できるほどの食べ物になるのです。子どもでもおとなでも、元気な人も病気の人も、みんなごはんを食べて生きています。ごはんを食べられるのは、神様の恵みです。私たちは心も体も神様に養われて生きているのです。でも、世界にはごはんが食べられない人がたくさんいます。みんなが神様の恵みである食べ物を分かち合うために私たちに何ができるか考えていきましょう。
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■ 足跡 Footprints
ある夜、私は夢を見た。
私は小高い丘に立ち、
これまで歩んできた人生の砂丘を
振り返って眺めていた。
延々と刻まれた自分の足跡と並んで、
もう一組の足跡がついていた。それは、
「私は決してあなたを離れない」と約束して下さった、
主イエスさまのものだった。
しかし、足跡がところどころ、一組しかなかった。
それは、私がもっとも辛く苦しかったとき、
悲しみのどん底にあったと思えるようなときだった。
私は驚いて、イエスさまに尋ねた。
「わたしがあなたをもっとも必要としていたとき、
どうして私を見放したのですか。」
すると、こんな返事があった。
「愛するわが子よ。
私は一度も、あなたから離れたことはない。
あなたが試練にあって苦しんでいたとき、
そこに一組しか足跡が見えないのは、
私があなたを背負っていたからだよ。
Author: Margaret Fishback Powers
(作者:マーガレット・F・パワーズ)
新型コロナウイルス感染症対応のため、長らく礼拝は
自室礼拝(ご家庭内での礼拝)を原則としてきましたが、
2020年6月14日より会堂での主日礼拝を再開しました。
しかしながら、新型コロナウィルス感染症の感染拡大に
より、再度「緊急事態宣言」が発出されたため、すでに
「新型コロナウィルス感染症対策」として周知されてい
る指針に基づき、できる限りの感染防止対策を実施しな
がら主日礼拝を献げています。皆様にはご不便とご迷惑
をおかけしますが、ご留意いただきますようお願いいた
します。特に、体調のすぐれない方、健康面に不安を抱
えている方には、無理をなさらずに礼拝時刻に合わせて
ホームページ上の週報をご覧の上、ご家庭内で御言葉に
聴き、祈りの内にお過ごしくださるようお願い致します。
なお、週報は主日礼拝の前日に週報棚に入れ、FAXを
お持ちの教会員の方にはFAXで週報をお送りいたします。
当日の週報ならびに説教要旨は、主日礼拝の前日までに
ホームページ上で閲覧できるようにいたします。事態の
早期収束を願うと共に、教会員の皆さまはじめ、悲しみ
と困難に直面する世界中の人々のことを覚え、主のみ守
りと支えが豊かにありますようにお祈りいたします。
2021.2.7 牧師・三原信惠
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2021年度 年間聖句
神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び
出してくださったのは、わたしたちの行いによるの
ではなく、御自身の計画と恵みによるのです。
(テモテへの手紙二 1章9節)
今週の祈り
・東日本大震災の被災者・被災教会のために。
・病や困難の中にある友のために。
・吐田郷(はんだごう)教会と井上博子牧師のために。
本日の集会
(感染予防対策を講じながら行います)
・10:30~11:30 主日礼拝
・11:30~ 旧約聖書通読
ゼファニヤ書1章 (旧)p.1470
今週の集会
・聖研祈祷会 7月 29日(木) 10:30-11:30
ダニエル書9章20~29節 (旧)p.1396
(聖書の御言葉に耳を傾けた後、祈祷会では、
吐田郷教会のお働きを覚えて祈ります。)
次週の案内
・2021年「夏の教会学校」 8月1日 9:40-10:10
さんびか: 奏楽奉仕者
おはなし: フランネルグラフ「ザアカイ」
夏のCS担当者
・「平和聖日」礼拝 8月1日 10:30-11:20
司 会 : 出席役員
交 読 : 詩篇 77篇
聖 書 : マタイによる福音書
第5章9節 (新)p.6
説 教 :「命の里がえり」 三原牧師
献 金 : 派遣神学生
奏 楽 : 奏楽奉仕者
讃美歌 : さんびか140番(みんなでへいわ)他
礼拝後
・聖書通読 新約聖書通読リレー開始の日
マタイ福音書 第1章 (新)p.1
■ 前向き・肯定的に!
感染力の強い新型コロナウィルス変異株が蔓延し、首都
圏の新規感染者も依然として増え続けている現状です。
このコロナ禍の中でも、それぞれの場で、それぞれの形
で御言葉に聴き、神を賛美し、共に覚えて 祈ることは
可能です。わたしたち茅ヶ崎堤伝道所では、コロナ禍の
大切な時を意味あるものとして過ごすために、2021年を
「聖書通読の年」としたいと願い、2021年1月3日
から「聖書のリレー通読」を始めました。信仰の原点に
に帰って、新しい出発をしたいと願っています。添付の
年間通読予定表をご参考のうえ、ぜひご参加下さいます
ようご案内いたします。
聖書通読表(年間) 印刷用PDF
■ 先週の集会報告
・主日礼拝 7月18日(日) 男4、女4、計 8名
・聖研祈祷会 7月22日(木) 男3、女2、計 5名
※ 個人情報保護の観点から、牧師以外の礼拝奉仕者並びに、
献金を献げられた方の個人名は伏せさせていただきました。
ご了承ください。
当伝道所は 教会内外からの多くの方々の尊い献金によって
支えられていることに心から感謝しています。
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