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聖霊降臨節第9主日礼拝 説教「三面楚歌?」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2021年7月18日
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マルコによる福音書 第3章20節 ~ 30節
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「三面楚歌?」 要約
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① イエス様、大ピンチ! |
イエス様の活動が広がるにつれ、イエス様のことを分かっていない人や、イエス様が嫌いな人たちに囲まれてしまいました。こんな状況を「四面楚歌」と言います。この言葉は前と後ろ、右と左という四方向から敵に囲まれて逃げる場所がないということです。イエス様はいろいろな人に囲まれてピンチに陥っています。最初に登場するのは群衆です。群衆はイエス様のことが嫌いではありませんが、イエス様にこうして欲しい、ああして欲しいと言うだけで、イエス様のことをよく分かっていません。そのためイエス様一行は食事をする暇もないほどでした。次に登場するのはイエス様の家族です。この時点では、イエス様の活動を理解できず、むしろ「気が変になっている」という言葉を聞き、世間体を気にして、イエス様を捕まえに来ています。最後に登場するのは律法学者たちです。彼らは明らかにイエス様に敵対し、イエス様の悪口を言って、イエス様の活動を邪魔しようとしています。こういう極限状況にあるイエス様、今や大ピンチです。 |
② 大ピンチにおけるイエス様 |
イエス様は、律法学者の悪口に対して、二つのたとえで反論します。一つ目は内輪争いのたとえ(24-26)で、これは理解出来るでしょう。が27節以下の家財道具のたとえは難解です。ここで使われている「強い人」とはサタンのことを表します。そして「家財道具」とはサタンに支配されている人々のことを指しています。イエス様はサタンを縛り上げ、サタンに支配されていた人々を略奪」つまり解放するのだと語っています。ここにあるサタンとは人々を神様から遠ざける原因のことです。イエス様は神の国は近づいたと伝えることにより、サタンから人々を救おうとしています。イエス様は聖霊の力によって人々を癒していたのに、敵対する人たちは、「ベルゼブル(悪霊の頭)の力だ」とこじつけています。28節以下、イエス様は聖霊への冒涜について語ります。それはイエス様をこの世に遣わされた神様を否定することになります。だから、その罪は赦されないのです。やがてこれらの誤解や敵意が、イエス様を十字架につけることになるのです。 |
③ 三面楚歌? |
イエス様の周りには自分勝手な人たち、家族、そして律法学者の三つのグループしかいません。ということは、イエス様には三つの方向からしか人々が押し寄せていないことになります。これでは「四面楚歌」ではなく、「三面楚歌」ですよね。残る一つはどうしたのでしょう。実は、最後の一つは、神様に続く道なのです。その道が残されているから、ピンチのように見えても、イエス様は、本当はピンチではありません。今回押し寄せた人たちのように、イエス様のところには、自分勝手な理由で救いの働きを邪魔しようとする人たちもやってきて、イエス様に意地悪なことをしています。それでもイエス様は、そんな状態でもあきらめず、本当に助けを必要とする人のために働きました。その働きが、神様に続く救いの道として開かれているのです。今朝の物語は、私たちがイエス様の邪魔をするのではなく、本当にイエス様に従っているのかと問いかけています。私たちはイエス様の邪魔をしていた人たちのように、自分勝手なことだけをするのではなく、イエス様の御言葉を素直に受け止めましょう。そうすれば、私たちは、イエス様の後に続いて、救いの道に歩んで行くことができるのです。心を開いて御言葉を受け入れてご一緒しましょう!
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