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聖霊降臨節第6主日礼拝 説教「ゆるがない土台」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2021年6月27日
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マタイによる福音書 第7章24節 ~ 29節
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「ゆるがない土台」 要約
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① 家と土台 |
「山上の教え」の結びとして語られているたとえです。ここで聖書は、二種類の土台のたとえをもって「山上の教え」の目指すところを示しています。それは、イエス様の言葉を聞く者たちが、聞くだけではダメだと言う。行う者となることを示唆しています。「家」は人生になぞらえられており、平行記事のルカ福音書では「それは、地面を深く堀り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている」とあります。「岩」であるイエス様にシッカリとつながるには、砂の層を深く掘り下げ岩盤に到達しなければならないというのです。パレスチナは乾燥した土地ですから、表面上は同じように砂がかぶさっているような状態です。愚かな人は、乾期には乾いた川床になるような川に家を建設するという信じがたい誤りをするそうです。暴風を伴った雨期が来ると、激しい急流が丘から下って突進し、その家を飲み込んでしまいます。このことはパレスチナだけでなく日本でも、しばしば起きる山津波の例を思い出します。 |
② み言葉を聞いて行う |
イエス様の言葉を聞いて行うって、どういうことでしょう。喧嘩をした時に「相手ばかりを責めるのをやめよう」と、グッとこらえてみることも大切なことかもしれません。けれども、いちばん大切なことは「わたしに従ってきなさい」と、私たち一人ひとりの名前を呼んで招いて下さっている神様にお答えすることです。それこそが、「み言葉を聞いて行う」ということです。みんなが神様の呼びかけに答えて、神様を信じて生きる人となることを神様は望んでおられます。新型コロナウィルスの登場も、まったく想像もしていなかったひどい嵐でした。これからもどんな嵐にあうか、誰にも分かりません。そんな私たちにイエス様は、どんなひどい嵐にも負けないような、<立派な家を建てなさい>とは、おっしゃいません。私たちが、嵐に負けないためにすることは、ただ一つです。「イエス・キリスト」という土台の上に「人生」という家を建てることです。つまり、イエス様を信じ、神様に頼って生きていくことです。 |
③ ゆるがない土台 |
お家を建てました。もう一つ建てました。両方とも、素晴らしい、立派なお家です。ところが風が吹き、雨が降り、洪水が押し寄せてきました。片方はシッカリと動かずに建っていましたが、もう片方のお家は流されてしまいました。なぜかというと、普段、目に見えないけれど、住んでいる家の土台が問題でした。土台は岩でなく砂であったために、どんどん流されてしまったのです。イエス様は、誰にも分かる話をなさったのです。あなたの人生を、ゆるがない土台の上に築きなさい、ということです。普段分からないけれど、事が起こった時にそれはハッキリします。特に自分の人生を自分で決断しなければならないような仕事を選んだり、結婚を選んだり、あるいは我が子を育てるということになりますと、歴然と自分の土台は何か、が見えてきます。何もない時はよいのですが、次第に人生の風が吹きはじめてきます。精神的に肉体的に、社会的に経済的にいろいろな問題が押し寄せてくると、その時によく分かるのです。風が吹いて打ちつけると、倒れるだけならよいのですが、その倒れ方はひどいのです。ですから、チャンスのある時にシッカリと良い岩の上に人生を気づくことです。
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