主日礼拝 説教抄録  2021年度
    
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    聖霊降臨節第3主日礼拝 説教「ほんのちょっとでも」

                日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
                       2021年6月6日

 マタイによる福音書 第5章13節~16節

「ほんのちょっとでも」 要約
① 「地の塩」について
 近年、塩気とか塩分の取りすぎは高血圧とか脳梗塞だとか、心臓疾患に悪いので減塩するようにというふうに、塩は嫌われものとなっています。が昔、塩というのは、はるかに重要な地位を占めていました。第一に味を付けるものとして、第二に防腐剤として使われていましたから、当時の人々にとっては、生活に不可欠なものでした。塩の塊が貨幣として用いられた事もあるとか。塩の果たす役割というのは、目立たない事、いろんな仕事や活動を後ろからバックアップするような役割、料理に溶け込む、人間の社会でいえばどんな社会やグループにも溶け込んできちっとした役割を果たす重要な役割だと思います。矢内原忠雄先生は「塩が役に立つ時は、塩の形を失っている。融けてしまってどこにあるか分からない。己の存在を無きが如くにして、しかも有効なもの、他のものに融かされ、しかも己を融かすものを救うもの。これが塩の性格である。それは正しく心貧しくして融和なる者の姿ではないか」と述べています。
「世の光」について
 私たちがふだん目に感じる光を可視光線といいます。その光の波長は、一番短い 0.4μ(ミクロン)の紫や青色に見える光から、一番長い0.8μの赤く見える光まであります。0.4μより波長が短くなると紫外線、更に短くなるとX線、そしてガンマー線などとなって目には見えません。また波長が0.8μより長くなると赤外線となって、やはり目には見えません。更に長くなるとマイクロ波、短波といった電波の領域になります。光は色々の波長の光の混ざり具合で、色々の色に見えますが可視光線の全波長の光が平均して混ざると太陽光線のように白色になるのです。完全な白色になるためにはどの波長の光が一つ欠けても真っ白にはなりません。それと同じようにこの世界には色々と違った心や考え方や生活のカラーを持った国の人たちがいますけれども、どんな人たちとも仲間割れしないで一人も欠ける事なく仲良く一つにならないと、光と同じように、この世界は完全な真っ白い平和な世界にならないのではないでしょうか。
③ ほんのちょっとでも
 イエス様は「あなた方は地の塩です」と仰いました。塩は私たちが生きていくのに欠かせません。私たちは毎日、塩を食べています。でも、塩そのままを食べる事は辛くて出来ません。けれども、お料理の味付けにちょっと使うと、とたんにぐんとおいしくなる、不思議な調味料です。イエス様はこうも仰っています。「あなた方は世の光です」。光が必要となるのは周りが暗い時や夜です。光は、塩のように隠れたりしません。ほんのちょっとの光でも暗闇の中ではまぶしく感じます。小さな光であっても周りを明るく照らす役割を立派に果たします。塩と光、働きは正反対!塩が効いているのは食べ物の中にとけて見えなくなる時です。光はその逆。周りを見えるようにするのが光の働きです。でも同じ所もあります。どちらもほんのちょっとで周りを大きく変えてしまう所です。イエス様は仰っています。人数は少なくても私たちが「神様を信じて生きている」というだけで、神様の事を皆に伝える大切な働きをしているのだと。辛い気持や元気の出ない時には、無理に明るくしなくても大丈夫。私たちの内から神様の光が溢れ出ます。神様に感謝して、光の子として歩いていきましょう!

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2021.6.5 by nk

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