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復活節第7主日礼拝 説教「助けられて」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2021年5月16日
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マタイによる福音書 第4章23節~25節
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「助けられて」 要約
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① おびただしい病人をいやす |
イエス様はガリラヤで、神様のお話をされました。イエス様のお話を聞くと、「神様のことは前から知っているよ」と言っていた人も、神様を初めて知ったときのように喜びました。またイエス様は、「今まで神様の話など聞いたことがない」という人にもお話をされました。昔、病気の人は、周りの人からこんなことを言われました。「お前は神様を知らないから病気になったのだ」。こう言われると、最初は「そんなことない」と思っても、言われ続けているうちに「そうなのかなあ」と思うようになります。でもイエス様は「そうではないよ。神様と生きる喜びは、病気に関係なく、みんなのものだよ」ということを教えてくださいました。そして、そのことが分かるようにと病気の人をいやされました。イエス様によるいやしは、病をいやす奇跡にとどまらず、弱い状態や、不健全な状態にある人を助けました。また、人間関係に苦しむ人をも助けました。イエス様によるいやしは、そうした広い意味での私たちの命すべてに及ぶものであったのです。 |
② サンガイ・ジュネ・コラギ |
岩村昇師は日本キリスト教海外医療協会から派遣され、ネパールの山岳地帯、人口200万人に対しただ一つのタンセン病院に赴任しました。患者は5~6日は普通で、中には20日もの道のりを歩いて病院にたどり着きます。たどり着ける人はまだしも途中、病状が悪化して亡くなる人もいます。ある日、パルパ県の山奥を巡回していた時、重病人に出会いました。丁度通りかかった若者にこの病人をかついで私の病院まで運んでもらえまいかと頼むと快く引き受けてくれました。タンセンの病院に着くと、先生は早速その若者にお礼を言って《さて、どれ位のお金を要求されるだろうか。シェルバと呼ばれる山の荷物を運ぶ人夫を町で頼むと通常60㎏位の荷物を背にかつぎ一日の賃金が〇円》、計算して若者に渡そうとすると「そんなものはいらない」と言ってサッサと帰ろうとするので、先生は追いかけて行って、「それならどうしてこんなに力をかしてくれたのか?」と聞きますと、「サンガイ・ジュネ・コラギ」とさわやかに笑って答えたというのです。 |
③ 助けられて |
それはネパール語で「みんなで生きるためさ」という意味なのです。「この病人は年寄りで力がない、私は若くて丈夫で力がある、だから助けるのはあたりまえで、何もお礼などいらない」というのです。岩村先生はこの山村の若者が何げなしに言った「サンガイ・ジュネ・コラギ」という言葉に深く感動し、また強く教えられたと言います。私たちの国のように文化の発達した豊かな社会ほど、みんなが互いに自分のことしか考えないで、他人には思いやりの無い気持ちの貧しい人ばかりになり、文化の遅れた生活の貧しい国と言われている山村の中にこそ、このような麗しく豊かで温かな心が生きていることに強く教えられ、何か恥ずかしささえ覚えます。イエス様にいやされた人たちも、イエス様に助けられたことがとってもうれしかったことでしょう。ですから私たちも、誰か困っている人がいたら助けたいと思います。「イエス様のように、困っている人を助けられる人になりたいな」と考えます。けれども初めからイエス様のようにいろいろな人を助けることは難しいかも知れません。ですからまずは、近くにいる人が困っていたらその人を助けましょう。ちょっとずつならできそうな気がしませんか?頑張って、やってみましょうね! |
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